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2017年02月アーカイブ

2017年02月23日

社長のひとり言

~働く意義~

2017年 2月

 14年前に亡くなった父は私が社会人になった頃、私によくこう言っていました。「人の倍、働け、倍、働け」と。それに対して若く生意気な私は、「倍、働いたかて給料は倍にはなれへんやん」と言い返していました。人の2倍働いて、2倍の給料がもらえるのだったら、働いてもいいが、それが保証されないのであれば、倍も働くなどばかばかしい、大損である、とさえ思っていました。ところがそんな私が今は経営者となって、だれに言われることもなく、倍も3倍も働いています。当時いかに若いからといって、私の言動や考え方は、思い出してもあまりに未熟で幼稚であったと、ただただ恥じ入るばかりです。

 この講では、そんな私が、目先の損得のみにとらわれた人生は結局のところ、幸せとは程遠い世界に陥ってしまうことになると度々、記してきました。会社の経営理念にも「・・・・働くことの意義を学び人間として成長していきます」と明記しています。これは社員には働く意義を自らが考え、自分自身でその答えを見つけて欲しいと考えたからです。ですから、私がそのことについて説法したことは一度もありません。立場を利用した価値観の押しつけは、相手の反発を招くだけであることを私は経験を通して、よく知っています。それに、あらゆる事象について、その意義を見出すことは至難の業です。たとえ出来たとしても、それは人それぞれです。その人の経験、学び、性格、環境等によって見つける答えは違ってきます。しかし、一般的な答えとして、私は働くことの意義を以下のように捉えています。

1、お金を稼ぐため。そうしないと衣食住に困るから。

2、社会と関わっていくため。社会と絶縁し一人で生きていくことは苦痛である。

3、その仕事を通して社会に貢献するため。それは喜びとなる。

4、仕事は思い通りにならないことの連続です。それを乗り越えるたびに成長する。

私は人生に終わりはあっても、仕事に終わりはないと考えています。なぜなら人が成長するためには仕事は不可欠だからです。そして人間の成長にも終わりはありません。死ぬ瞬間まで成長し続けなければならない。だから死ぬまで仕事をしなければならいと考えるのです。

(ここでいう仕事とは会社で働くことだけを言っているのではありません。家事や地域活動、病気との闘いなどあらゆる活動を意味しています)私は若い時、働くことの意義を上記の1、としか認識していなかったのです。ですからサラリーマンにとっての幸せは、少しでも小さな責任で、少しでも楽をして、少しでもたくさんの給料をもらうことである、と本気で思っていました。しかし、そんな理不尽が続くわけがありません。こんな考えでは、しんどいこと、苦しいことの連続に堪えられなくなるのは当然の帰結でした。結局は逃げるように転職しました。 今の私にとって働く意義の大半は上記の3,4です。大きく成長するためには、上述の反対が必要です。少しでも大きな責任を持ち、決して楽な道を選ばず、頂ける給料に感謝する。仕事は思い通りにならないことの連続です。悩み、苦しみ、努力するからこそ成長できるのです。そして、それを乗り越えたときだけに、真の喜びを感じることが出来るのだと信じています。40数年前、父はそれを私に教えてくれていたのでした。

お父さん、ありがとう。   感謝 合掌

~性格~2017年02月03日

2017年1月

 今年も1月に恒例の大学時代の友人四人が大阪で集まりました。昨年のこの講でも記しましたように,もう47年の付き合いになります。これだけの長い年月、毎年の交流が続いているのはひとえにO君のお蔭ですが、最近どうもそれだけではないのでは、と考えるようになりました。もちろん学生時代から仲が良かったことは言うまでもありませんが、それにもまして、まず4人が4人とも交際を続けようという強い意志があったこと。その結果それぞれが我を通さず譲り合ってきたことも大きな理由の一つだと思うようになりました。人間は往々にして親しい間柄であればあるほど、わがままを言う傾向があります。私もその一人です。とくに家族に対してはそうであったと思います。若いころは会社でもそうでした。家族はわがままを許してくれても、会社はそういう訳には参りません。結局その組織にいられなくなります。良い人間関係を継続するためには自我を抑え、相手を否定せず、できるだけ譲る、この三つが必須であうように今は思っています。我々四人は47年間、まさにこれを実行してきたと自負できます。1月の大阪ミナミの寒空の下、6月の再開を約して別れました。
 ところで、この講で何度か登場しているアドラーですが彼はこう言っています。「あらゆる人の悩みは対人関係の問題に帰結します。自分はどのような人間でありたいか、と考える際には、必ず周囲の目を気にしているのです」(小倉広著、アドラー人生に革命が起きる100の言葉より)100%ではないにしてもだいだいその通りだと思います。人間は一人では生きていけませんから、自分の言動が相手にどうとられるかを意識するのは普通のことで、反対に相手がどう思うとも構わない、自分は言いたいことを言い、やりたいことをやるというのでは、まともな社会生活を送ることは難しいでしょう。ところが昨今の自己啓発本には、他人を気にするな、他人がどう思おうとも我が道をすすめ的なものがたくさん見受けられます。そもそも我が道を進むということは、他人の協力なくして絶対にありえないことです。どんな時でも、他への配慮を忘れてはいけないと思います。しかし、そうは思っていても私など凡夫の域から出ることのできないものにとっては、ついついそれを忘れ、配慮を欠いた言動で他を傷つけてしまうことがあります。そして、それは私の性格からくるのもですが、同じくアドラーは性格のことを“ライフスタイル”と名付けそれはいつでも変えることが出来ると言っています。同本ではこう記されています「ライフスタイルとは生き方のクセであり、どのように行動すればうまくいくかという信念である。・・中略・・そしてそれは自分の意思で決めたものだから、いつでも変えることが可能だ」私たちは性格などなかなか変えられるものではない、と思っています。しかしアドラーの言うように自分たちの性格が、生まれつきのもではなく、生まれた後、自分の意思で決めたのであれば、変えることは可能となります。そして、その性格がどう行動すれば自分は上手くいくか、という計らいの心からだけで創られたものとしたなら、それは畢竟、他との摩擦から逃れることは出来なくなるでしょう。私たちは生まれてきたものの使命として、この性格(ライフスタイル)を、より良い方向に変えていく努力を怠ってはいけないと思います。これは性格だから、しょうがないという考え方は決して持ってはいけない、今はそう考えるようになりました。