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2012年04月|神戸で注文住宅を木の家で建てる工務店、セレクトホーム

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2012年04月アーカイブ

生まれ変わる2012年04月03日

~生まれ変わる~

2012年2月

 ダイエットに成功しました。南雲吉則先生著の「空腹が人を健康にする」に従って、1日1食を実践したからです。それと折線グラフによる記録も続けています。今現在の体重は夜寝る前の計測で70キロ前後(+-0.5キロ)です。身長が175センチですからほぼ適正ではないかと自負しています。体調は以前より体が軽くなったせいか、南雲先生が言われる生命力遺伝子が働きだしたのか、すこぶる快調です。リバウンドもありません。先生の説は一言で表すと「人間の体は空腹であればあるほど生命力が活性化し若返る」ということです。

これは一切食をとらないというのではなく、最低限の栄養は1日1食で補いなさいということです。もっとも、あまりの空腹はかえって気分を悪くする時もありますから、その時はビスケットやクッキーやクラッカーを3,4枚食べています。尊敬する日野原先生(聖路加病院理事長、年齢は100歳で現役)も、たしか朝食はミルクやジュースだけで、昼食はクッキーを数枚食べるだけと聞いたことがあります。要するに、現代人は食べ過ぎということです。これが体に関して諸悪の根源になっていると、私も思うようになりました。

 もう一つ、南雲式が私に抵抗なく受け入れられたのは、休肝日などあまり意味がない、必要ないと、大事なことは生涯のお酒のトータル量であると言われています。さらに、年に数回、祝いの時などに羽目を外して大酒することも大目に見ましょうと誠に寛大で、私にとってはまさに救いの神でありました。

 この南雲式が合うか合わないかは、人によって違うと思いますが、皆さんにも一度お勧めします。きっとうまくいきますよ。

 

今月は先月のこの講でお伝えした著書「子供はみな前世を語る」キャロル・ボーマン著について少しその内容をお伝えします。著者のキャロル・ボーマンはアメリカ人で夫スティーブとチェースという男の子、サラという女の子の4人家族です。どこにでもいる平凡な主婦でしたが、あることからチェースとサラの前世を知ることで、輪廻転生に興味を持ち、多くの事例を集め、やがてテレビ番組にも出演し、ついにはこの本を出版するに至るのです。今月はそのきっかけとなったチェースのことを、本の記述を一部借用しながら書いていきます。

 

 7月4日はアメリカ独立記念日です。5歳のチェースは、ほかの子供たちと楽しく遊んでいました。遊び疲れたチェースは母キャロルの膝の上に座り込みます。その時、花火大会が始まり、爆音、炸裂音が次々と響き渡ります。人々からどっと歓声の声が上がりました。ところがチェースは突然泣き始めるのです。母は「どうしたの?」と尋ねるも、ますます激しく泣き叫ぶのでした。母は彼を抱きしめ、なだめますが効果はありません。2,3分様子を見ましたが、激しく泣きじゃくるばかりでした。そこで仕方なくチェースを家に連れて帰ります。家に連れて帰ると少しずつ泣くのはおさまってきました。母は「どうしたの?どこか気持ち悪いの?どこか痛いの?」チェースはシクシク泣きながら首を振ります。続けて、大きな音にびっくりしたのかと尋ねると、またも彼は激しく泣き出すのでした。---------同じようなことが1か月後にも起こりました。チェースは水が大好きで、そのプールに飛び込むのを楽しみにしていました。彼がニコニコしながらプール際に近づいたとき、誰かが飛び込み板からジャンプ一番、大きな水しぶきを上げてプールに飛び込みました。飛び込み板の衝撃音と水しぶきの音、加えて周囲の人たちの歓声がひとかたまりとなって、屋内プールに響きました。次の瞬間、チェースはまたもヒステリックに泣きじゃくり始めるのです。--------------

 数週間後、なんという偶然でしょうか、幸運にもキャロルたちはノーマン・イングという催眠療法士を家に迎えることになるのです。キャロルはノーマンに、チェースのことを話します。するとノーマンは、ちょっとした実験をやってみようと申し出、キャロルたちは受け入れるのでした。

「ママの膝の上に座ってごらん-----うん、いいね。それじゃ目を閉じてみようか-----大きな音を聞いて怖くなったとき、君は何を見ているのかな?聞かせてくれるかい?」チェースは話し始めた「僕は岩の後ろに立っている。それで剣のようなものが先に付いた、長い銃を持っている」ノーマン「どんなものを身につけているんだい?」チェース「汚れてほころびた服を着てる。茶色いブーツを履いてて、ベルトをしている。それで僕は岩の後ろに隠れてる。膝をついて、敵に向かって銃を撃ってる。僕のいるところは、谷のはずれ。僕のまわりのあらゆるところで戦いが行われている」チェースの興味あるものはゲームや、組立式の玩具のみで、戦争関連のオモチャに興味を持ったことは一度もなかった。続けて「僕は岩の後ろにいる-----岩の向こう側を見たくない。でも見なきゃ。見て銃を発射しなきゃ。あちこちに煙が見える。あちこちでピカピカ光ってる。それから大きな音。怒鳴り声。叫び声。ドカーンという音。自分が誰を撃っているのか、僕にはよくわからない。煙がすごい。いろんなことが起こってる。すごく怖い。僕はいま、動くものは何でも撃ってる。僕はこんなところにいたくない。人を撃つのはもういやだ」----------ノーマン「僕たち人間は、これまでに何度も生まれ変わって、いくつものいろんな人生を生きてきたんだ。新しく生まれるたびに、新しい役柄を演じながらね-----そしてそれは、人間として進歩するためには、いろんな立場に立って、いろんなことを学ぶ必要があるからなんだ。僕たちは、時には兵士になって、戦いの中で他の人を殺してしまうこともあれば、ある時は逆に殺されてしまうこともある。でもね、僕たちはどんなときにも、大切なことを学ぶために、自分に与えられた役割を演じているだけなんだよ」------チェースの体は徐々にリラックスし、呼吸も表情も穏やかになっていくのです。ノーマンは続けます。「君はいま見ていることを、もっと話してくれないかな」チェース「僕は岩の裏で、膝をついてかがみ込んでいる。あっ、右手首を撃たれた------谷の上にいる誰かに----。僕は岩の裏側を滑り落ちる-----手首の撃たれた場所を押さえて------血が出てる----めまいがしてきた-----」--------その時のチェースは彼が生まれた時から、前世で撃たれたところと完璧に同じところに、湿疹ができていました。時々チェースがその湿疹を血が出るまでひっかくので、いろんな医者に見せるのですが、完治する気配はありませんでした。驚いたことに、兵士として生きた前世体験から2,3日でその湿疹が完全に消え失せてしまったのです。そればかりではありません。それ以来、花火の音にも、ほかのいかなる爆発音や振動音にも、まったくおびえることが無くなったのです。

 話はまだまだ続きます。チェースが6歳になったとき、突然彼はキャロルに言います。自分が兵士だったときは黒人で、黒人特有の話し方をしていた。そして白人たちと一緒に戦っていたと。それはアメリカ人として南北戦争に参加していたのか、それとも第一次世界大戦なのかはわかりません。しかし、アメリカ南北戦争に黒人が参加していたことは事実として記録されています。

 

 今回はチェースの事例を上げてみました。信じる信じないは、その人の判断であり自由です。

しかし、もしこれが事実とすれば(私は心から事実であると信じています)現在、白人のチェースが、前世では黒人であったということは、私達の中にある、人種、国籍、民族、はては血筋、氏素性に対する認識に、一体どんな意味があるのでしょうか。

 私が知ったほかの多くの前世事例でも、現在の男性が、前世では女性であったり、現在のビルマ人や、アメリカ人が前世では日本人であったり、エジプト人であったり、また現在の妻が、前世では前世の自分の母親や父親や娘であったりするのです。くしくもノーマンがチェースに言いました。「人間として進歩(成長)するためには、いろんな人生を過ごし、いろんなことを学ばなければならない」---------------私たちは一つの人生だけでは学びきれないのでしょう。だから、また生まれることが出来るのではないでしょうか。

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ゆるすということ2012年04月01日

~ゆるすということ~

2012年1月

 

 1月2日になってやっと家族4人がそろいました。4人が一緒に夕食をとれたのはその日だけでしたが、私にとって最高に至福の時でした。以前この講で"妻と二人の娘がいれば、ほかに欲しいものなど何もない"と書いたことがあります。もちろん今でも、この気持ちに変わりはありません。しかし、人間というのは欲が出るものですね。長女が27歳、次女が25歳にまでなると、今度は孫が欲しいと想う様になってきました。もちろん、孫を見るためには婿がいないことには始まりません。ところが娘たちにそれらしい相手はどうもいないようなのです。テレビを見ていたら、私のように結婚適齢期の娘や息子をもっている親たちが、本人に代わって婚活をしています。本人が動かないのであれば、親が動くしかないのかと、今は仕事のカバンに娘の写真を入れて持ち歩いています。親バカとお笑い下さい。

でも、いい人がいたら紹介して下さいね。-------------欲深でごめんなさい。

 

 昨年の11月のこの講で人は「信じること、許すこと、愛すること」を学ぶために生まれてくると書きました。いみじくも1月28日と翌週の朝日新聞夕刊に、日野原先生(聖路加国際病院理事長)の連載「100歳・私の証あるがまま行く」が"「ゆるす」ということ"のサブタイトルで記されました。お読みになった方も大勢いらっしゃるかとは思いましたが今月はこの日野原先生の文章を一部転載します。

 

 今世紀に入っても、世界は動乱が続いています。この現状を打破するためにはどうすればよいか、私は懸命に考えてきました。そして得た答えは、「ゆるす」ということです。----------中略-------------------

21世紀の初め、9.11同時多発テロによってニューヨークの世界貿易センタービルなどに航空機が激突し、3千人もの市民の命が失われたことは、今も世界の人々の脳裏から離れない大事件です。

 当時のブッシュ大統領はこの時、「世界中のすべてのテロ組織を捜し出し、撲滅するまで我々の戦いは終わらない」と宣言しました。そして旧約聖書の出エジプト記の「目には目を」という言葉のように、復讐のための報復戦争が正当との考えを示しました。

 しかし一方で、新約聖書に記されたイエスの言葉「汝の敵を愛せよ」を体現した遺族がいたことを皆さんはご存知でしょうか。女性の夫は、世界貿易センタービル最上階でソムリエとして働いていて、テロの犠牲になりました。しかし、夫を亡くした直後、彼女はメディアの取材に対して、次のような内容を答えたそうです。「夫は報復を決して望まないでしょう。彼は犯人と話し合いたかったはずです。彼の死への報復として、私たちが他の人間の血を流すべきではありません」メディアは彼女の夫と彼女を「米国が誇るべき勇気ある人間」だと評しました。------------中略---------

 9.11の同時多発テロの後、米国はすぐさま報復に出ました。その攻撃で亡くなった、子供を含む罪なき市民の数は、兵士よりもはるかに多かったと伝えられています。そして報復はさらなるテロを引き起こし、この憎しみと戦いの連鎖は、21世紀をテロの世紀にしかねない様相を呈しています。この絶ちがたい鎖からの解放のためにこそ、「ゆるし」が必要となってくるのです。

 愛することの裏には、つらいことや血の出るような苦しみも存在します。本当の無償の愛というマントの裏地には、つらさで血のにじんだ布が張られているのです。人をゆるすことは時として、血の出るような苦しみを伴います。その血の代償として、人は愛を受け、救われるのです。--------中略------------

 私は「寛恕(かんじょ)」という仏教的または儒教的な教えの中にも、キリスト教の説く愛と共通した仁愛の精神が含まれているものと思います。--------中略--------ソムリエだった夫を同時多発テロ亡くした女性が「夫の死の報復に他の人の血を流してはならない」と語りました。私はこの夫妻のような市民を米国が誇れるようになることを願います。また、彼女のように行動することが、人間の本質的な生き方だと思うのです。

 作家の曽野綾子さんは、ある雑誌でこんなことを述べていました。「人間というのは約束を守らなかったり、裏切ったりするものなのです。自分は違うと言い張る人もいるかもしれませんが、私はそう思っています。それは自分の中にもそういう心があることを知っているからです」

 最後に聖書の言葉を紹介します。「人を裁くな。そうすればあなた方も裁かれることがない。人を罪びとだと決めるな。そうすればあなた方も罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすればあなた方も赦される」

 

 自分の愛する人が不当に死に追いやられたとき、日野原先生の言われるように、あるいはソムリエの妻がしたように行動することは、簡単にはできないでしょう。もし本当に赦すのであれば日野原先生の言われる通り、血の出るような苦しみを伴うことに違いありません。しかし、本当に多くの人々が、血の出るような苦しみに耐えながら、その対象たるものを赦すことができるでしょうか。そもそも血の出るような苦しみというものに耐えられる人がどれだけいるでしょうか。私のような凡人は、ただそんな人間になれたらいいな、なりたいなと思いつつ、実際には日々の仕事、生活の中で、ほんの小さなこと、わずかなことで腹を立てているというのが現実です。それでも、ゆるすということが絶対的な価値であるということだけは、行動できるかということは別にして、揺るがない信念としてもっています。なぜなら、それが人として生まれてきた理由のひとつだとからです。

 2008年に飯田先生の「生きがいの創造」を読んで以来、少しずつですが絶えず、生まれ変わりに関する本を読むようになりました。このたびも、義姉から借りた「子供はみな前世を語る」(キャロル・ボーマン著)という本に出合うことが出来、ますます"人間は必ず生まれ変わる"という信念が強固になりました。この事実、事例をより多く知ることにより上述の"人は人をゆるすため生まれてきた"という想いは、想いからより事実に近いものとして受け入れることが出来るようになりました。だからといって自分が信じているものを皆さんに押し付けるつもりは毛頭ありません。私は工務店の社長であって、宗教家とは違います。ただ、もしこのような考え方を自分のものとすることが出来れば、人は心から救われるのではと信じてやまないだけです。皆さんもだまされたと思って、一度この「生まれ変わり」(仏教では輪廻転生という)に関する書物を読まれてはいかがでしょうか。たくさんの出ていますよ。

 

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