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社長のひとりごと|神戸市で健康住宅、外断熱、ソーラーサーキットの冬暖かく、夏涼しい家を建てる工務店

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社長のひとりごと

~報恩~

2019年6月

4月に行われた東京大学入学式の祝辞が一時、テレビのワイドショーなどでよく取り上げられていました。メディアでは上野先生の「頑張ってもそれが公正に報われない社会があなた達を待っています」との言葉だけが独り歩きして、その是非を問う形で議論されていたような気がします。メディア批判のつもりは毛頭ありませんが、昔からメディアは誰かがしゃべった長い一文のワンセンテンスだけ取り上げて、それを批判的に書いたり、話題としたり嘲笑の対象としたりする傾向があります。きっと短い表現で視聴者、読者の心を掴まないと経営が成り立ちにくい組織なのでしょう。致し方ないかもしれません。ですから私達はメディアの言うこと、書くことを真に受けて、惑わされたり騙されてはいけません。今はネットで何でも調べられます。(もっともネットに出ていることも頭から信用してはいけません。私は何度も騙されています)手間を惜しまず、きちんと自分で調べてから自分の意見としましょう。私も祝辞を行った上野千鶴子先生の言葉をネット上で読みましたし、ユーチューブでも聴きました。

私はこの講でよくこう記します。がんばって幸せになろうではなく、もう既に幸せなんだから頑張ろう、と。ですので上野先生の“報われない社会が待っています”との言葉を聞いた時、それは違うと、即座に反応しました。私たちはもう既に充分に報われているのだから、報われない社会と言う言葉には納得がいきませんでした。私もまた、メディアに踊らされた人間の一人でした。しかし上野先生は、この言葉に引き続き「そしてがんばったら報われるとあなたが思えることそのものが、あなた方の努力の成果ではなく、環境のお蔭だったことを忘れないようにして下さい。がんばったら報われると思えるのは、これまであなた達の周囲の環境が、あなた達を励まし、背を押し、手をもって引上げ、やり遂げたことを評価して褒めてくれたからこそです。世の中には、頑張っても報われない人、頑張ろうにもがんばれない人、頑張りすぎて心と体を壊した人たちがいます。・・・中略・・・・

あなた達の頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるのではなく、そういう人々を助けるために使って下さい。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きて下さい。・・・・」

と、すばらしい言葉が続いたのでした。

 弊社では行動指針の20番に“才能は人のため。決して私物化致しません”と記しています。これはキョーセラの稲森和夫先生の著書からヒントを得て作ったものです。上野先生はこのことを、もっとわかりやすく美しい言葉で語ってくれました。反発から入りましたが、よく調べてみれば僭越ながら私と同意見でした。がんばっても報われない社会にあっても、あなた達はもう既に報われているのですよ、だから、その恩に報いるような生き方をしてください、というのが上野先生のお考えと知りました。私たちが持っている能力は努力で身に付けたものもありますが、その根底の能力は自分の力で持ったものではありません。大いなる力によるものだと確信しています。その能力を世のため人の為に使うことはまさに、神仏の御心にかなうものです。そのような行為をやり続けることによってのみ、神様、仏様はそのご褒美として何もまして得難い幸福感で私たちを包んでくれるのです。

| 19年06月20日

~嬉野~

2019年5月

 妻は大の焼き物好きです。そこで二度目の焼き物めぐりに行ってきました。前回は唐津、伊万里、有田の3か所でしたが、今回は伊万里、有田、波佐見の3か所を回ってきました。

九州とくに佐賀県は焼き物のメッカで2日間ではとても全部を見て回ることは出来ません。レンタカーを借りて回るのですが、如何せん土地勘がないものですからナビがあるとはいえ、うまく目的地に着かないことが多かったです。運転で疲れましたが、それでも温泉に浸かって美味しいごちそうを食べられたことには本当に感謝です。

 嬉野温泉に泊ったのですが久々に良いサービスが受けられました。2日目はガイドブックで見つけた“轟の滝”という所に寄ってから波佐見焼を見に行こうと妻と話していました。妻は滝を見るのが大好きなのです。部屋に入ってそのことをスタッフの若くてかわいらしい女性に話すと、そこは、雨がここのところ降っていないので滝というより、ただの段差ですよ、とアドバイスしてくれました。滝を見に行って、水が落ちていなかったら、これほどつまらないものはありません。今回の目的は陶器を見て、安くて良いものがあったら買おうという旅ですから、強行日程のなかを割いて水の無い滝を見る余裕はなしです。

 夕食の時です。例の女性スタッフがニコニコしながらテーブルにやってきて、私たちに小さなメモと地図を差し出すのです。みれば、滝の名前がびっしりと書いてあります。それも彼女の見たランキング順に書いてくれていました。唐津のほうに良い滝があるとのことでしたが、翌日は13時過ぎの列車に乗って帰途につかなければなりません。唐津までは最低1時間かかります。結局あきらめました。でも彼女の心遣い、すごく嬉しかったです。さすが嬉野温泉ですね。 それにしても、温泉旅館のスタッフが頼みもしないのに、私たち夫婦の気持ちを察して10か所近い滝を調べてメモにし、地図まで用意してくれるなんて、私も自分の仕事柄、お客様には気遣いし仕事をしますが、ここまでのサービスには頭が下がります。仮にその旅館がそのように指導していたとしても、なかなかそこまで出来るものではありません。彼女には損得勘定など微塵もなかったのです。嬉しかったし、勉強にもなりました。次回、佐賀に行くときはきっとこの旅館を選ぶでしょう。

 私たちは往々にして目先の損得勘定からなかなか抜け出すことが出来ません。これをやったら、何が返ってくるのかな。これだけしてやったのだから、これぐらいは返してもらって当たり前だ。と、こんなことばかりを考えています。そして、いつも自分や自分の家族が最優先です。真理の世界では自分と他人との間に線引きするものはありません。皆、本当は一つなのです。家族を大切に思う気持ちがあるのであれば、その思いを他の人々にも持つように努力しなければなりません。  

あるお弟子がお釈迦様に告白しました。「私はいくら修行しても、自分が一番大切であるという心から抜け出せません」お釈迦様は言われました。「それでよい。ただお前が自分を一番大切に思うように、他の人々も自分が一番大切だと思っている。そのことを忘れてはならない」                    

| 19年05月18日

~花見~

2019年4月

 今年も明石公園に花見に行きました。お弁当を広げるのはいつも剛ノ池のまわりなのですが、今年はお客様の奨めもあって、櫓(やぐら)のある広場の桜の木の下でシートを広げました。お客様が言われるように剛ノ池の周りよりは人も少なくて落ち着けました。妻は須磨の病院によってから来るとのことなので、私一人でバスに乗って、お弁当を買って、お酒を買って桜の木の下で青い空を眺めながら妻を待っていました。空の高いところには黒い大きな鳥が3~4羽、悠々と羽ばたくこともなく風に乗って飛んでいます。あぁ~鳥っていいなあ、次、生まれ変わることになったら空高く飛ぶ鳥もいいかなあ。あぁ~幸せだなあ、いい気分だなあと思ったとたん飲みたくなりました。リュックの中には家から持ってきた缶ビールが2本あります。1本は妻の分です。私にはワンカップのお酒も別にありましたので、妻の到着を待つこともなく1本飲んでしまいました。朝ごはんを食べたのは6時頃ですから昼の1時過ぎでは、結構空腹になっていたのでしょう。1本の缶ビールでさらに気持ち良くなって少し酔ってしまいました。私の大好きなことのひとつが桜の下で酔って眠ることです。お弁当を食べることなく眠ってしましました。

 妻からの携帯で起こされました。妻「お父さん、何処にいるのよ」私「昨日、ゆうてた櫓の公園におるよ」妻「なんで、そんなとこにおるのよ。階段上がるの大変じゃないの」と不機嫌です。妻は脚が悪く階段は苦手なのです。しかも場所に関して夫婦の認識は一致していなかったようです。妻「わかったわよ。そっちに行くわ」5分ほどして妻が来ました。場所のことで不機嫌なうえ、私が妻の到着も待たずに先にビールを飲んでしまっていたので、これは絶対に怒られるな、と覚悟していました。ところが予想に反して妻はニコニコしていました。病院での検査結果が良かったのが幸いしたみたいでした。それと、私が公園に来る前に明石駅の前で、お坊さんがお経を唱えて托鉢していましたので、合掌して僅かですが喜捨させて頂きました。早速、そのご利益に預かることが出来たみたいです。

妻とお弁当を食べながらワンカップのお酒を飲み干しました。妻は寒いからと言ってビールを残しましたので、それも飲みました。さらにサントリー山崎の小瓶に入れた角瓶を一口飲み、すっかり出来上がってしまいました。さあ寝るぞと横になろうとした瞬間、妻が「お父さん、池の周りを一周してソウトクリーム食べよ」昔の私なら「一人で行ってきて。お父さんは寝るから」と間違いなく言っていたと思います。しかし私も成長しました。「うん、そうしようか」と片付けをしてリュックを背負い妻と剛ノ池を周り、ソウトクリームを買って、屋上庭園で食べました。とりとめのない、どこの夫婦にもあるささやかな一日でした。多くの善男善女が楽しそうにお弁当を食べ、お酒を飲んでいます。皆それぞれ楽しいこと苦しいことを経て今を楽しんでいるのでしょう。桜が大好きで花見をする日本人って本当にいいなと思いました。楽しい一日を過ごすことができ、私は幸せ者です。有難いことです。明日からお酒を少し減らし、頑張って生きていきます。応援して下さいね。

| 19年04月22日

~社会的手抜き~

2019年3月

 今月もウィキペディアより転載します。「“リンゲルマンによる実験”20世紀初頭のフランスの農学者リンゲルマンは綱引き、荷車引き、石臼回しなどの集団作業時の一人当りのパフォーマンスを数値化した。実験の結果、1人の時の力の量を100%とした場合、2人の場合93%、3人の場合85%、4人では77%、5人では70%、6人では63%、8人では49%と1人当たりの力の量は低下した。リンゲルマンは集団が大きくなるほど集団全体のアウトプットと個人のアウトプットの合計の差は拡大するという現象を明らかにした」

「“ラタネとハーディの実験”目隠しとヘッドホンを着け、互いの行動が分からない状態にした2人1組のチアリーダーをつい立を挟んで座らせ、単独(1人)での条件と、ペア(2人)での条件で大声を出してもらい、騒音計で音量を計測する実験をしたところ、ペア条件での音量は単独条件の94%の音量しか出ず手抜きをしていた。しかし、実験後の被験者たちはどちらの条件でも全力を尽くしたと思っていたという」

この二つの実験は“社会的手抜き”と命名された実験とされ、さらに社会的手抜きが発生する要因として以下が記されています。

1、集団の中で自分だけが評価される可能性が低い環境。

2、優秀な集団の中にあって、自分の努力の量にかかわらず報酬が変わらないなど、努力が不要な環境。

3、あまり努力をしない集団の中では、自分だけ努力するのは馬鹿らしいという心理から、

  集団の努力水準に同調する現象が起こる。

社会的手抜きとは非常に手厳しい表現ですが、以上のようなことは私は勿論、皆さんも思

い当たることと思います。しかし、私たちはまたこれと正反対のことも知っています。つ

まり1+1=2ではなく3になるという事実です。成果を表す式として、成果=考え方×熱

意×知識×行動量、というのがあります。この式が正しいとすれば、まず知識は1人の知

識量よりも2人合わせた知識量のほうが絶対に多い筈です。また考え方や熱意や行動量は

一人一人違っていて当たり前ですが、二人がお互いを素直な気持ちでよく認め合えば、二

人が良い方向に向かって良い結果を出すこともよくあることです。

 結局、集団は社会的手抜き集団となって衰退し破滅していくか、1+1=3集団となって、

成長発展していくかのどちらかではないかと思います。また組織が衰退滅亡するのは外的

要因ではなく内部環境の悪化によるものだ、ともよく言われますが、組織を構成する一人

一人が社会的手抜きに陥り、自分達のパフォーマンスを半分以下としてしまえば、それも

当然の結果と言えるでしょう。私は人が二人集まれば集団、組織と考えます。従って家族

もまた組織です。決して社会的手抜きに陥らないよう精進する必要があります。私たちは

生きていられることにいつも感謝し、もうすでに幸福であるということを知らねばなりま

せん。精進し頑張って幸福になるのではなく、すでに幸福だから精進し頑張るのです。

| 19年03月25日

~衛門三郎~

2019年2月

 昨年11月に会社の旅行で松山の道後温泉に行きました。松山は亡父の出身地でいとこが大勢います。松山いとこ会と銘打って、ほぼ毎年のように松山に行っていますが、有名な石手寺(四国八十八箇所、51番札所)には一度も行ったことがありませんでした。今回は社員がとってくれたホテルが、たまたま石手寺に近く初めて参拝しました。お遍路の元祖といわれる衛門三郎(えもんさぶろう)の再来伝説ゆかりのお寺です。ここで衛門三郎の伝説を少し長いですが、ウィキペディアより下記に転載させて頂きます。

『天長年間のころの話である。伊予国を治めていた河野家の一族で、浮穴荏原郷の豪農で衛門三郎という者がいた。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとしていた。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。八日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきで叩き落とした。鉢は八つに割れてしまった。実はこの僧は弘法大師であった。三郎には八人の子がいたが、その時から毎年一人ずつ子が亡くなり、八年目には皆亡くなってしまった。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。二十回巡礼を重ねたが出会えず、何としても大師にめぐり合いたい気持ちから、今度は逆に回ることにしたが、巡礼の途中、阿波国の焼山寺(八十八箇所 十二番札所)の近くで病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、大師の望みはあるかとの問いかけに、来世は河野家に生まれ変わり人の役に立ちたい、と託して息を引き取った。大師は路傍の石を取り“衛門三郎再来”と書いて左の手に握らせた。天長八年十月のことという。 翌年、伊予国の領主、河野息利に長男の息方が生まれるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧に祈願してもらったところ、やっと手を開いた。その手から“衛門三郎再来”と書かれた石が出てきた。その石は安養寺に納められ、後に“石手寺”と寺名を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。』

 この伝説では強欲な衛門三郎が弘法大師に為した行為により、天罰のごとく子供が次々と8人も亡くなったとなっていますが、私は弘法大師がそのような無慈悲なことを願うわけがないと確信しています。昔は子供や大人が若くして亡くなるのは普通のことですから、きっと、偶然であったのではと思います。

そんなことよりも石手寺には、この寺の住職が記されたのであろう小冊子が置いてありましたが、その内容に私は強い自戒の念を掻き立てられました。内容は、「ある日、門前に老人が倒れていました。家に入れようとするも、あまりの悪臭に汚いものをつまむようにしていた。そこへ住職の師匠が来られ、抱きかかえて家に連れ込んだ。ふと思った。“私こそ衛門三郎である”何のことはない。今まで見下していた強欲非道の衛門三郎とは実は自分自身であったのだ。・・・中略・・・衛門三郎は実は私やあなたである。だれが、汚いどこのものともしれぬ旅の者を介抱するであろうか」全くその通りです。私たちは衛門三郎です。どこまで行っても、衛門三郎と同じく、自分や自分の家族が大事なのです。そしていつも損得勘定で生きています。このことをもって罪があるとは言えないまでも、真理の世界に向かって成長していく姿であるとは言い切れないと考えます。衛門三郎は全てを捨てて遍路の旅に出ました。彼の人生は弘法大師が現れたため、家族と富のすべてを失いましたが、最後は幸福の光に包まれていたに違いありません。

| 19年02月21日

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