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社長のひとりごと|神戸市で健康住宅、外断熱、ソーラーサーキットの冬暖かく、夏涼しい家を建てる工務店

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社長のひとりごと

ローソク

2018年9月

今年は本当に災害が多いですね。6月に大阪北部で震度6弱の地震、7月に広島、岡山、愛媛の豪雨、8月は台風20号、9月は台風21号に続いて北海道で震度7の大地震。まったく立て続けにこんな災害がやってくるのは初めての経験です。多くの人が命を落とされました。また被災された数多くの人が今も苦しんでおられます。私には何もして差し上げることが出来なので、せめて直接関係なくても節電しようと思い立ち、9月6日の夜から夕食の後は照明を全部消して、ローソクをいっとき灯すことにしました。幸いなことに我家には、娘たちが子供の時に買い集めた赤や青や黄色の形も様々な、いかにも女の子が好みそうなかわいらしいローソクがたくさんあります。テーブルに三本も灯せば、最初は暗く感じても、段々と目も慣れてきて、妻と二人ですが何となくロマンチックな気分になります。

妻「娘たちが小さい時は、よくローソクを点けてたわよ。大喜びしていたわ」

私「そうやったかなぁ~ 覚えてないなぁ」

妻「そりゃぁ覚えてるわけないじゃないの」

私「なんでよ?」

妻「だって、返ってくるのが毎日10時11時、ひどい時は午前様だったじゃないの。子供たちはとっくに寝ていたわ」

私「・・・・・・・・・・・・」

外飲みもありましたが、30歳代から40歳代は本当に遅くまでよく働きました。休日に仕事する日もありましたし、ゴルフに行っていたこともありました。平成7年1月17日の大震災の時のことは今でも妻に言われます。地震の当日、近所の人はみんな水を求めて必死に動き回っていたそうですが、私はというと家の水も電気もガスも止まっている中、前職の会社に出社し、担当していた建築現場を見て回っていました。こんな時でも、家族のことよりも仕事を優先すのね、と妻に責められました。その当時はなぜ責められなければならないのかと憤慨していた記憶があります。家族のことを思わない日は一日もありません。でも結果的には、家族との時間をあまり取れなかったことも事実です。いや取れなかったのではなく、取らなかったというのが真実かもしれません。今、振り返ってみれば、およそマイホームパパとは縁遠い男であったかと思います。妻や娘たちには、本当に申し訳ないことをしました。今はそう反省しています。

私「そうやったね。お母さん(妻のこと)と娘たちには悪いことしたね。ごめんなさい」

 ローソクのゆらめく灯りが30年前のことを思いださせ、きらめく清らかな炎が私を素直にさせました。外は雨が深々と降っています。ゆらめくローソクの炎に照らしだされる妻の横顔が美しく輝いて見えました。

私「お母さん、10月になったら春に行けなかった琵琶湖の一泊旅行、もういっぺん申込しようと思うけど・・・」  

妻「いいわね!長いこと旅行、行ってないもんね。今度こそ仕事入れないでよ」

私「大丈夫、約束するよ」   ローソクはゆったりと明々と燃えていました。

| 18年09月24日

~禍福一如~

2018年8月

2015年7月の講(無手の法悦)で取り上げました大石順教尼のことが雑誌“致知”で取り上げられていました。詳しくはその講を読んで頂ければと思いますが、簡単に言いますと、明治38年、養父によって両腕を刀で切り落とされた女性のことです。雑誌では彼女のことを映画にした女性監督が対談の中で、「よいことも悪いことも自分の心ひとつだよと教えられました。・・・中略・・・それまでは、外側の事実が自分をつくると思っていたんですけど、そうではなくて、私が出来事に意味を見出し、それを感じ取って生きていくんだと。・・・中略・・・外側に面白いこと、楽しいことがあるんじゃない。面白がる自分、楽しいと思える自分でいることが大切なんだなって今は思っています」

私は宇宙の法則として、この世のあらゆる存在、出来事は“水平になる”と信じています。水は必ず高いところから低い所へ流れます。熱も高いところこら低いところへ移動します。そして水も熱も水平になります。この法則は人生においても当然適用されます。よいこと(福)も悪いこと(禍)も同じだけやってきます。もっとも、大石順教尼は「禍も福もほんとうは一つなんだよ」と禍福に差はないと述べられています。そうはいっても私たち凡夫はなかなかこのような心境にはなれないものです。どうしても禍が少なく福が多いことを願ってしまいます。学校の試験の成績がよければうれしいし、志望校に落ちれば悲しい。好きな異性と結婚できればうれしいし、振られたらやはり悲しい。出世して給料が上がればうれしいし、ボーナスが出なかったらさびしいものです。しかし、冷静によく考えてみてください。“禍福は糾える縄のごとし”という言葉もあります。よいことと悪いことは繰り返しやってくるという意味なのですが、もう一歩踏み込んで、大石順教尼の言われるように、よいことも悪いことも、実は同じなんだ、人生において良いこととか悪いこととかという結果は、実は自分や世間の主観(思い込み)であって、そこにはたいした価値はないと気付くはずです。なぜなら人間は必ず死ぬ、そしてその時、その人は形あるものは何も持っていくことは出来ない、という厳然たる事実があります。この事実を前にして、試験に落ちた、受かった、出世した、しなかった、結婚した、しなかった、得をした、損をした、お金が儲かった、儲からなかった、病気になった、病気が治ったなどという世俗の出来事(結果)は、長いようで本当は一瞬にしか過ぎない人生のなかでは小さな泡粒ほどの存在でしかないのです。

人間は2足歩行することによって脳が発達し、明日の食べ物を心配するようになりました。やがて、明日の食べ物の心配が、将来の自分の地位や財産、病気、老後や死への不安となり、いつも悩み苦しむようになってきました。そして行き着いたところが杞憂(天が落ちてくるのではないかと心配した人)ですね。時々思います。犬や猫や鳥や魚は明日のことを心配しているのだろうか。5年前に死んだ我が家の犬は、ガンに侵され、おまけに認知症でしたが、死ぬ数日前まで散歩に連れて行けとせがんでいました。きっと、自分が死ぬなんてこと、これっぽっちも考えていなかったと思います。ただ生きようとしていた立派な生き方でした。聖書にも書いてあります。「明日のことを思いわずらうな」と。将来の損得を心配する生き方は、決して楽しい生き方ではないと思います。今、目の前の善と思えることを精一杯やるだけでいいのです。損得そのものには意味はありません。禍福は一つなのですから。

| 18年08月21日

仏を探し求めて

2018年7月

 今月のこの講は5月号に引き続き、阿純章著「迷子のすすめ」より仏教の寓話をそのまま転載します。

“お釈迦さまが悟りを開かれた後、苦しむ人々を救うために各地に教えを説いてまわっていた。お釈迦さまに会って直接教えを聞けるのは千載一遇のチャンスである。四人の男が、お釈迦さまがある町にいらっしゃるという噂を運よく聞きつけた。彼らの住む村からは数週間もかかる距離だったが、喜び勇んで旅の支度をして村を出た。道に詳しいものを先頭にして、一度も村を出たことがない旅慣れない男が後ろをついていった。出発して三日目のことである。突然、嵐に襲われて、一番後ろの男は先を歩く三人とはぐれてしまった。激しい風雨の中では歩くこともできず、通りすがりの羊飼いの家に助けを求めた。羊飼いはその男を家に招き入れ、上着と温かい食事を与え、一晩泊めてやった。翌朝旅支度をして出てみると、昨晩の嵐で羊たちがおびえて柵から飛び出してしまい、羊飼いが必死になって逃げ惑う羊たちを捕まえていた。今すぐ出発しなければ仲間たちに追いつけないと思ったが、一宿一飯の恩義を思うと羊飼いを放っておけない。その日の出発はあきらめて、一緒に羊を捕まえることにした。一匹残らずすべての羊を捕まえるのに三日を擁してしまったが、その後、再び出発し、仲間の足跡をたどっていくと、その途中、ある農家にたどり着いた。そこに住む女に井戸の水を分けてもらい、急いで出発しようとすると、その女は夫に先立たれて幼子を抱え、一人では畑の刈り取りができないと困っていた。ここでとどまれば完全に仲間に追いつけないと思ったが、男は決心して女を手伝ってやった。結局、収穫に三週間もかかってしましたが、男は再び旅に出た。そして、ようやくお釈迦さまがいらっしゃると聞いた目的の町に到着したが、お釈迦さまはすでに北の村に向かった後で、仲間ももういなかった。そこで男も北を目指し、あと一日で追いつくというところで、老夫婦が川に流されているのを発見した。男はすぐさま川に飛び込み助けたが、老夫婦は衰弱していたため、しばらく看病することになった。こうして男は、あと少し、あと少しというところでいつも何かが起き、お釈迦さまと出会えぬまま、各地を転々と旅し続けた。やがて二〇年という歳月がたち、お釈迦さまが涅槃(ねはん、亡くなること)に入られるという噂が流れた。この機会を逃したら、もう二度とお釈迦さまにお会いできない。今度は何があっても、自分も目的を遂げようと意を決し、わずかな食料を携えて一匹のロバに乗り、お釈迦さまが涅槃に入られる地へと急いだ。ところが、あと一息というところで、一匹の怪我をした鹿が道の真ん中で倒れているのを見つけた。誰かがついていなければきっと死んでしまうに違いない。だが、あたりを見回しても誰も見当たらなかった。そこで自分の持っていた水と食料をすべて鹿の口元に置いて立ち去ったが、しばらくすると鹿のことが気になり、引き返して鹿の看病をすることにした。夜が明けると、鹿も少し元気になってきたので、再び出発しようとしたが、時すでに遅し。お釈迦さまはその夜に涅槃に入られたのだった。男は地に膝をついて泣いた。すると、背後から声が聞こえてきた。「もう私を探すことはない」男はびっくりして振り返ると、そこには先ほどの鹿がお釈迦さまの姿になり、まばゆい光に包まれて立っていた。そして、こう言った。「もし昨晩私をここに残して立ち去っていたら、きっと私には会えなかったでしょう。あなたのこれまでの行いと共に私は常に一緒にいました。これからも私はあなたの中にいます」”

 私たちは皆、人生に夢や希望や目標をもっています。そしてそれに向かって努力することが尊いことだということも知っています。でも夢や目標を達成できる人がどれほどの数いるでしょうか。恐らくは寓話に出てくる男のように、大半の人がたどりつかないのだと思います。それでは目標達成出来なかったからといって、その人間に価値はないのでしょうか。そんなことはありませんね。大切なことは夢や希望を達成することではなく、その目標に向かって進むときの言動、態度そのものに、溢れるほどの至誠があったかどうかであると信じています。この寓話は私たちにそのことを教えてくれているのではないでしょうか。

| 18年07月29日

愚痴

2018年6月

6月、私にとっては米朝首脳会談よりも、大阪の地震や、新幹線の殺傷事件のほうが、はるかに衝撃でした。新幹線事件、犠牲者の梅田さんの勇気ある行動には、ただただ頭が下がるのと、はたして自分がそこに居合わせていたら、同じ行動をとれたであろうかという想いが今も離れません。そして18日には地震がありました。テレビは地震報道一色です。再々にわたり余震への警戒を伝えています。翌日は大阪で、大学時代の友達と恒例の集まりがある日です。夕食時、思わず妻に「あした大阪へ行くの、イヤやなぁ・・」と情けない発言してしまいました。仕事の関係上ある程度地震のことには興味があり、少しですが勉強もしました。もちろん阪神大震災も経験しています。だから余震が怖かったのです。こんな自分が新幹線でどうやって犯人に立ち向かっていけるのか、また、この講でいつも利他を説いているのは口先だけか、と頭の中は自責の念でいっぱいになりました。自責の念とともに、どうせ俺は弱虫や、と愚痴が出ました。

19日正午、いつもの難波の料理屋に集合です。夕陽丘の源聖寺で両親、義姉の墓参りを済ませ、観音様に手を合わせて、難波に定刻通り到着しました。今回は岡山のH君は病気のため欠席です。奈良のO君、大阪のU君と半年ぶりの再開です。地震、米朝首脳会談、新幹線殺人事件、お互いの家族、婿や嫁や孫、自分たちの健康問題と話題は尽きることがありません。それとともにビール、焼酎、日本酒とたらふく飲みます。お次は麻雀です。飲み過ぎで頭が回らないのか連続、奈良のO君がトップです。その時、愚痴が出ました。「この麻雀(3人打ち)はO君、お前のためにあるようなもんやな。お前には勝てんわ」そしてトイレに行きました。トイレに立つと便器の前に張り紙がしてありました。“強い麻雀打ちとは”とタイトルがあり3番目に『愚痴を吐く人はいません。その行為が自分の人格を下げることを知っているからだ。失敗は全て自分の蒔いた種だと思うべし』私は目が覚めました。愚痴を言って、問題が解決することもなければ、周りが愉快になることも絶対にありません。そんな当たり前のことが分からなかったのです。雀荘のトイレの張り紙の効果は抜群でした。

麻雀はそこから私が連続トップです。結局、7時まで半荘6回やって私がトップでした。

もちろんトイレに行ってからは、一言もマイナス発言はしていません。

昔、読んだ本でタイトルも忘れてしまいましたが、何をやってもうまくいかない日本人男性が、イスラエルを旅して、そこのおばあさんに『嫌なことがあったら、“ありがとう”と言いなさい』と教わり、それを実践し続けることで人生が大いに開けたという内容でした。“人生は苦である”釈尊はそう言いました。飯田先生は“思い通りにならないことこそ、この世で最も価値あることだ”と言われています。苦は嫌なことです。でもその苦が実はこの世で最も価値あることであるのなら、嫌なことに出合ったら感謝するのは特別なことではなく、普通のことなのです。愚痴を言ってはいけません。愚痴を言うような場面に遭遇したら『ありがとう』と言うのです。感謝こそが幸福の源です。何があっても、ありがとう。

いつも、そう言える人間でありたいと願って止みません。         感謝合掌

| コメント (0) | 18年06月21日

~宝の山~

2018年5月

“迷子のすすめ”(阿 純章著)という本を読みました。その中にニューヨーク州立大学病院医療センタ―内のロビーの壁に、ある詩が掲げられているそうです。その詩を紹介します。

渡辺和子氏(キリスト教の修道女、ノートルダム清心学園理事長、故人)の訳です。

   『大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと、神に求めたのに

    謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった

    より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに

    より良きことができるようにと、病弱を与えられた

    幸せになろうとして、富を求めたのに

    賢明であるようにと、貧困を授かった

    世の中の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに

    得意にならないようにと、失敗を授かった

    人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに

    あらゆることを喜べるようにと、生命を授かった

    求めたものは一つとして与えられなかったが

    願いはすべて聞き届けられた

    神の意にそわぬものであるにもかかわらず

    心の中で言い表せないものは、すべて叶えられた

    私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ』

この詩の作者は南北戦争の時に負傷して入院した患者であるとか、イエズス会の神父J・ロジャー・ルーシーであるとか言われていますが、実際は分からないそうです。どちらにしてもこの詩が私に一息つかせてくれたことは事実です。最近、私は精進とか至誠とか全身全霊、使命達成、精一杯とかの言葉にとりつかれ、ひたすら努力することの大切さを自分に言いきかせ実践してきました。もちろん今でもそのことの大切さを否定することなど絶対にあり得ません。ただ人間は弱いものです。これらの言葉のもと“自分はこれだけやっているのに・・・・”とどうしても結果や見返りを求める心が拭い切れません。仏教ではこれを貪りとか煩悩といい強く戒めています。以前この講でも記しました。結果を求めてはいけない。結果にはたいした価値はない。それよりも目標に向かって努力している過程そのものに価値があるのだと。

今回、この詩にめぐり合えたことは本当にラッキーでした。どのような人生(結果)であろうと、今、自分のいるところが最高の場所なのだ。あらためて、そのことを教えてくれました。著者は言っています。「どのように生きても、それが人と違っても遅くても早くても、どこにいても、今立っているところが一番いい場所だ。・中略・それに気がつかずに『宝はどこだ、どこだ』と探し求めて、小さな宝を拾い集めて喜んだり、うっかり失くして嘆いたりしているが、ここが宝の山であれば、わざわざ探しに行くこともないし、拾い集める必要もないはずだ」この言葉は決して今の現状に甘んじよということではありません。人生にはいつも課題がついて回ります。その課題を解決するために最善の努力が必要であることは言うまでもありません。ただその努力の結果が思い描いたことと違っていたとしても、それはそれで、宝の山に頂にいるということなのです。人生には幸福も不幸もない。ただ自分の思考がそれをつくりだしているだけでなのです。

| 18年05月21日

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