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社長のひとりごと|神戸市で健康住宅、外断熱、ソーラーサーキットの冬暖かく、夏涼しい家を建てる工務店

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社長のひとりごと

~覚悟~

2018年11月

雑誌致知の9月号に井本勝幸氏と鬼丸昌也氏の対談が掲載されています。その一人の井本氏のプロフィールを雑誌の言葉を少し略してそのまま転載します。“昭和39年生まれ、東京農大卒、日本国際ボランティアセンターでソマリア、タイ、カンボジア国境の難民支援に関わる。28歳で出家。朝倉市の四恩山・報恩寺副住職としてアジアの仏教徒20か国を網羅する助け合いのネットワークを構築。平成23年より単身で反政府ビルマ少数民族地域へ。UNFC(統一民族連邦評議会)コンサルタントを経て、現在、日本ミャンマー未来会議代表取締役を努める。”結論から言いますと、この井本氏の命がけの活動が現在のミャンマーの停戦を実現させたのではないかと思います。

雑誌致知の対談に登場するひとは,大体が死ぬような体験した方が多いのですが、井本氏のそれは群を抜いています。まず一つは内戦状態のミャンマーに行くのに、お釈迦様もそうしたように、「全部捨てる」と地位も財産も家族も捨てたのです。もっとも奥様には説得し、最低限生活できるお金は残したそうです。そして紛争地帯を移動する車がものすごい銃撃を受けるのですが、運転手が引き返そうというのを押さえつけ、前進していくのです。さらに、タイのチェンマイに置いていたUNFCの事務所がタイ警察に潰されて、海外からの支援が途絶えてしまうのですが、その時、武装勢力のリーダー達が弱音を吐くと、彼は「軍人のくせになんだ!その態度は!ここで諦めるんだったら死のう。俺も一緒に死ぬ。それなら潔くっていいじゃないか」と言って、彼らの前に短刀を差し出したのです。そうしたら「井本、もう1回やろう」とリーダーは言ったそうです。私には絶対に出来ないことばかりです。

家族を捨てることも、銃撃される中を進むことも、短刀を差し出して、ここで一緒に死のう、

と叫ぶことも。この対談のタイトルは“まず覚悟ありき”サブタイトルは“やむにやまれぬ思いからすべてが始まる”です。私にもある程度の覚悟はありますが、ある程度です。本当の覚悟と、ある程度の覚悟の違いは、この井本氏のようにすべてを、命までも捨てる覚悟があるのか、ないのか、この違いだと思います。対談の中の一節です。「・・・普通の人って、これは自分がやるべきことかもしれないと気付いても、リスクを先に考えますよね。でも、人間いくら命が大事だと言っても、いずれは死ななければならない。それなのにほとんどの人はリスクのほうばかりに目がいって、やめる理由を探し始める。私が仏典から学んだことの一つは、自分がこれだと思ったことに対して、それがいかに困難であっても、やめる理由を一切探さないように努めることでした」井本氏がミャンマーの現地で目にしたのはミャンマー国軍によって村人たちが情け容赦なく殺され、若い女性はレイプされ、逃げようとしてもタイ軍に押し返されたところを撃ち殺される、というこの世の地獄でした。井本氏はこの現実を見て覚悟を決められたのでしょう。多くの日本人はこのような地獄を直接見ることはありません。しかし、私たちのまわりにも、本当は自分がやるべきことだと気付いていることは必ずあるのではないでしょうか。でも、しんどいから、つらいから、苦しいから、儲からないから、誰かがやるだろうから、とやらない理由を探し出し、結局やらない。 

やって死ぬのか、やらずに死ぬのか、決めるのは私たちです。

| 18年11月18日

~心配~

2018年10月

 妻はよくこう言います。「心配していたことって本当は、ほとんど起こらないよのね。でも、まったく心配していなかった予想外のことは結構よく起きるのよ」その通りです。

 こう見えても私は元来の臆病者で心配性なのです。ですから生まれてこの方、人生を振り返ってみても心配で心配で思い悩んだことが色々あったように思います。しかし、そのほとんどは忘れてしまっています。覚えているのは多分5~6歳の時ではなかったかと思うのですが、死ぬことがとても恐ろしくて、死んだらどうしょう、と心配で悩み続けていた記憶があります。小学校に入ったら、その悩みは無くなっていました。代わりにクラスのいじめっ子と恐ろしい先生に叩かれるのではないかと心配し悩みました。その心配も中学生になると無くなっていました。その代わりに、入った水泳部の先輩とトラブルになり、どこかで待ち伏せ攻撃されるのではと心配し悩みました。その悩みも剣道部に転部することによって無くなりました。(多分、剣道部の主将が間に入ってくれたのではと思います)高校生の時は、彼女がいないくらいで、特に大きな悩みも心配事も無く平穏な高校生活を送っていました。ところがある日、何の授業で何があったのかは忘れましたが、先生に丸めた教科書で思いっきり頭を叩かれたことがありました。全く予想外でした。今の時代でしたら確実に体罰と言われても仕方のない行為ですが、当時は普通に先生が生徒を叩いていました。

 妻の言う通りです。5~6歳の時は死ぬのが怖くて悩んでいましたが、有難いことに、まだ生きています。小学校、中学校で心配していたことは何一つ起こらなかったのですが、高校ではまったく心配していなかったことが起こりました。くどいようですが妻の言うことは真実です。大学に行き、社会人となって今に至っていますが、ずっと同じです。私はいつも心配し続けてきました。けれど、その心配ごとが現実になったことは多分一度もないと思います。その代り心配していなかった全く予想外のことは次々と起こりました。

こんなことがありました。今でもはっきりと覚えています。前職で1億8千万円で受注した鉄骨4階建てのマンションですが、鉄骨建て方の時に鉄骨に下に一列、基礎が無かったことがありました。監督に呼ばれて現場を見たとき、目の前が真っ暗になりました。逃げ出したかったです。なぜなら施主は鉄骨の本職でしたから。数日後、殴られることを覚悟して施主に事実を報告しました。意外にも施主は「やってしまったことはしょうがない。その方法で間違いなく設計強度が出るのなら、それでいって下さい」と言って下さいました。私は数日間、眠れないくらい悩みました。そして施主から「一から建替えろ」と言われることを心配し続けました。しかし、その心配は徒労に終わり、そして、心から施主に感謝しました。

D・カーネギーの有名な著書「道は開ける」は悩みに関して多くのことが記されています。

その中の一節です。「いずれにしても、明日のことは配慮すベきである。細心の注意を払って計画し準備すべきである。だが心配するには及ばない」この本を読んだのは7年前です。でも中身はすっかり忘れていました。事前の準備をしっかりやれば何も心配することはないのです。なぜなら心配していることは、まず起こらないからです。イエスは言っています。

「明日のことは考えるな」と。

| 18年10月18日

ローソク

2018年9月

今年は本当に災害が多いですね。6月に大阪北部で震度6弱の地震、7月に広島、岡山、愛媛の豪雨、8月は台風20号、9月は台風21号に続いて北海道で震度7の大地震。まったく立て続けにこんな災害がやってくるのは初めての経験です。多くの人が命を落とされました。また被災された数多くの人が今も苦しんでおられます。私には何もして差し上げることが出来なので、せめて直接関係なくても節電しようと思い立ち、9月6日の夜から夕食の後は照明を全部消して、ローソクをいっとき灯すことにしました。幸いなことに我家には、娘たちが子供の時に買い集めた赤や青や黄色の形も様々な、いかにも女の子が好みそうなかわいらしいローソクがたくさんあります。テーブルに三本も灯せば、最初は暗く感じても、段々と目も慣れてきて、妻と二人ですが何となくロマンチックな気分になります。

妻「娘たちが小さい時は、よくローソクを点けてたわよ。大喜びしていたわ」

私「そうやったかなぁ~ 覚えてないなぁ」

妻「そりゃぁ覚えてるわけないじゃないの」

私「なんでよ?」

妻「だって、返ってくるのが毎日10時11時、ひどい時は午前様だったじゃないの。子供たちはとっくに寝ていたわ」

私「・・・・・・・・・・・・」

外飲みもありましたが、30歳代から40歳代は本当に遅くまでよく働きました。休日に仕事する日もありましたし、ゴルフに行っていたこともありました。平成7年1月17日の大震災の時のことは今でも妻に言われます。地震の当日、近所の人はみんな水を求めて必死に動き回っていたそうですが、私はというと家の水も電気もガスも止まっている中、前職の会社に出社し、担当していた建築現場を見て回っていました。こんな時でも、家族のことよりも仕事を優先すのね、と妻に責められました。その当時はなぜ責められなければならないのかと憤慨していた記憶があります。家族のことを思わない日は一日もありません。でも結果的には、家族との時間をあまり取れなかったことも事実です。いや取れなかったのではなく、取らなかったというのが真実かもしれません。今、振り返ってみれば、およそマイホームパパとは縁遠い男であったかと思います。妻や娘たちには、本当に申し訳ないことをしました。今はそう反省しています。

私「そうやったね。お母さん(妻のこと)と娘たちには悪いことしたね。ごめんなさい」

 ローソクのゆらめく灯りが30年前のことを思いださせ、きらめく清らかな炎が私を素直にさせました。外は雨が深々と降っています。ゆらめくローソクの炎に照らしだされる妻の横顔が美しく輝いて見えました。

私「お母さん、10月になったら春に行けなかった琵琶湖の一泊旅行、もういっぺん申込しようと思うけど・・・」  

妻「いいわね!長いこと旅行、行ってないもんね。今度こそ仕事入れないでよ」

私「大丈夫、約束するよ」   ローソクはゆったりと明々と燃えていました。

| 18年09月24日

~禍福一如~

2018年8月

2015年7月の講(無手の法悦)で取り上げました大石順教尼のことが雑誌“致知”で取り上げられていました。詳しくはその講を読んで頂ければと思いますが、簡単に言いますと、明治38年、養父によって両腕を刀で切り落とされた女性のことです。雑誌では彼女のことを映画にした女性監督が対談の中で、「よいことも悪いことも自分の心ひとつだよと教えられました。・・・中略・・・それまでは、外側の事実が自分をつくると思っていたんですけど、そうではなくて、私が出来事に意味を見出し、それを感じ取って生きていくんだと。・・・中略・・・外側に面白いこと、楽しいことがあるんじゃない。面白がる自分、楽しいと思える自分でいることが大切なんだなって今は思っています」

私は宇宙の法則として、この世のあらゆる存在、出来事は“水平になる”と信じています。水は必ず高いところから低い所へ流れます。熱も高いところこら低いところへ移動します。そして水も熱も水平になります。この法則は人生においても当然適用されます。よいこと(福)も悪いこと(禍)も同じだけやってきます。もっとも、大石順教尼は「禍も福もほんとうは一つなんだよ」と禍福に差はないと述べられています。そうはいっても私たち凡夫はなかなかこのような心境にはなれないものです。どうしても禍が少なく福が多いことを願ってしまいます。学校の試験の成績がよければうれしいし、志望校に落ちれば悲しい。好きな異性と結婚できればうれしいし、振られたらやはり悲しい。出世して給料が上がればうれしいし、ボーナスが出なかったらさびしいものです。しかし、冷静によく考えてみてください。“禍福は糾える縄のごとし”という言葉もあります。よいことと悪いことは繰り返しやってくるという意味なのですが、もう一歩踏み込んで、大石順教尼の言われるように、よいことも悪いことも、実は同じなんだ、人生において良いこととか悪いこととかという結果は、実は自分や世間の主観(思い込み)であって、そこにはたいした価値はないと気付くはずです。なぜなら人間は必ず死ぬ、そしてその時、その人は形あるものは何も持っていくことは出来ない、という厳然たる事実があります。この事実を前にして、試験に落ちた、受かった、出世した、しなかった、結婚した、しなかった、得をした、損をした、お金が儲かった、儲からなかった、病気になった、病気が治ったなどという世俗の出来事(結果)は、長いようで本当は一瞬にしか過ぎない人生のなかでは小さな泡粒ほどの存在でしかないのです。

人間は2足歩行することによって脳が発達し、明日の食べ物を心配するようになりました。やがて、明日の食べ物の心配が、将来の自分の地位や財産、病気、老後や死への不安となり、いつも悩み苦しむようになってきました。そして行き着いたところが杞憂(天が落ちてくるのではないかと心配した人)ですね。時々思います。犬や猫や鳥や魚は明日のことを心配しているのだろうか。5年前に死んだ我が家の犬は、ガンに侵され、おまけに認知症でしたが、死ぬ数日前まで散歩に連れて行けとせがんでいました。きっと、自分が死ぬなんてこと、これっぽっちも考えていなかったと思います。ただ生きようとしていた立派な生き方でした。聖書にも書いてあります。「明日のことを思いわずらうな」と。将来の損得を心配する生き方は、決して楽しい生き方ではないと思います。今、目の前の善と思えることを精一杯やるだけでいいのです。損得そのものには意味はありません。禍福は一つなのですから。

| 18年08月21日

仏を探し求めて

2018年7月

 今月のこの講は5月号に引き続き、阿純章著「迷子のすすめ」より仏教の寓話をそのまま転載します。

“お釈迦さまが悟りを開かれた後、苦しむ人々を救うために各地に教えを説いてまわっていた。お釈迦さまに会って直接教えを聞けるのは千載一遇のチャンスである。四人の男が、お釈迦さまがある町にいらっしゃるという噂を運よく聞きつけた。彼らの住む村からは数週間もかかる距離だったが、喜び勇んで旅の支度をして村を出た。道に詳しいものを先頭にして、一度も村を出たことがない旅慣れない男が後ろをついていった。出発して三日目のことである。突然、嵐に襲われて、一番後ろの男は先を歩く三人とはぐれてしまった。激しい風雨の中では歩くこともできず、通りすがりの羊飼いの家に助けを求めた。羊飼いはその男を家に招き入れ、上着と温かい食事を与え、一晩泊めてやった。翌朝旅支度をして出てみると、昨晩の嵐で羊たちがおびえて柵から飛び出してしまい、羊飼いが必死になって逃げ惑う羊たちを捕まえていた。今すぐ出発しなければ仲間たちに追いつけないと思ったが、一宿一飯の恩義を思うと羊飼いを放っておけない。その日の出発はあきらめて、一緒に羊を捕まえることにした。一匹残らずすべての羊を捕まえるのに三日を擁してしまったが、その後、再び出発し、仲間の足跡をたどっていくと、その途中、ある農家にたどり着いた。そこに住む女に井戸の水を分けてもらい、急いで出発しようとすると、その女は夫に先立たれて幼子を抱え、一人では畑の刈り取りができないと困っていた。ここでとどまれば完全に仲間に追いつけないと思ったが、男は決心して女を手伝ってやった。結局、収穫に三週間もかかってしましたが、男は再び旅に出た。そして、ようやくお釈迦さまがいらっしゃると聞いた目的の町に到着したが、お釈迦さまはすでに北の村に向かった後で、仲間ももういなかった。そこで男も北を目指し、あと一日で追いつくというところで、老夫婦が川に流されているのを発見した。男はすぐさま川に飛び込み助けたが、老夫婦は衰弱していたため、しばらく看病することになった。こうして男は、あと少し、あと少しというところでいつも何かが起き、お釈迦さまと出会えぬまま、各地を転々と旅し続けた。やがて二〇年という歳月がたち、お釈迦さまが涅槃(ねはん、亡くなること)に入られるという噂が流れた。この機会を逃したら、もう二度とお釈迦さまにお会いできない。今度は何があっても、自分も目的を遂げようと意を決し、わずかな食料を携えて一匹のロバに乗り、お釈迦さまが涅槃に入られる地へと急いだ。ところが、あと一息というところで、一匹の怪我をした鹿が道の真ん中で倒れているのを見つけた。誰かがついていなければきっと死んでしまうに違いない。だが、あたりを見回しても誰も見当たらなかった。そこで自分の持っていた水と食料をすべて鹿の口元に置いて立ち去ったが、しばらくすると鹿のことが気になり、引き返して鹿の看病をすることにした。夜が明けると、鹿も少し元気になってきたので、再び出発しようとしたが、時すでに遅し。お釈迦さまはその夜に涅槃に入られたのだった。男は地に膝をついて泣いた。すると、背後から声が聞こえてきた。「もう私を探すことはない」男はびっくりして振り返ると、そこには先ほどの鹿がお釈迦さまの姿になり、まばゆい光に包まれて立っていた。そして、こう言った。「もし昨晩私をここに残して立ち去っていたら、きっと私には会えなかったでしょう。あなたのこれまでの行いと共に私は常に一緒にいました。これからも私はあなたの中にいます」”

 私たちは皆、人生に夢や希望や目標をもっています。そしてそれに向かって努力することが尊いことだということも知っています。でも夢や目標を達成できる人がどれほどの数いるでしょうか。恐らくは寓話に出てくる男のように、大半の人がたどりつかないのだと思います。それでは目標達成出来なかったからといって、その人間に価値はないのでしょうか。そんなことはありませんね。大切なことは夢や希望を達成することではなく、その目標に向かって進むときの言動、態度そのものに、溢れるほどの至誠があったかどうかであると信じています。この寓話は私たちにそのことを教えてくれているのではないでしょうか。

| 18年07月29日

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