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社長のひとりごと|神戸市で健康住宅、外断熱、ソーラーサーキットの冬暖かく、夏涼しい家を建てる工務店

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社長のひとりごと

~台風~

2019年10月

 先の台風15号で千葉県のゴルフ練習場の鉄柱が倒れ、民家に被害が及んだニュースは、皆さんも何度もテレビで目にされたことと思います。住宅会社の社長として瓦のめくれた家もそうですが、あのように鉄柱が屋根を突き破り小屋組みが破壊された映像を見るのは、本当に心が痛みます。あの状態で雨が降ってきたらどうなるのか。想像するだけでも気持ちが暗くなります。ニュースを見ているかぎりでは、ゴルフ練習場のオーナーは自然災害なので自分には復旧義務は無いと言っているそうです。法律的にはそうなのかもしれません。でも、そこに住んでいる住民は一体どうなるのでしょうか。本当に難しい問題ですね。

 そこに明るいニュースが入ってきました。東京の大手解体業者フジムラさんが無償で鉄柱を解体撤去するというのです。2ヶ月かかるという大工事を無償でやるというのですから仏様のような会社です。ネット上では「何か裏があるのでは・・・」などと書き込みがありましたが、裏があろうとなかろうと数千万円以上するであろう工事をタダでやってくれるのですから、こんな有難い話はありません。とにかく一刻も早く鉄柱を撤去するべきです。さもないと家がドンドンとダメになっていきます。テレビやネットの映像しか見ていないので確実なことは言えませんが、今だったら建替えをしなくても大規模修繕で住めるようになるのではないかと思います。

 それにしてもこのフジムラという会社はすごいですね。どうしてこのような決断をしたのか私も経営者の端くれとして、この会社の経営者のコメントが聞きたいです。人にはやさしく親切にしなさいと、常日頃言っている私ですが、とてもこんなことは出来ませんし、またその力もありません。同じ経営者として心から尊敬します。

 「貧女の一灯」という物語があります。釈尊がマガダ国王から城に招待されました。国王は釈尊のその帰りの夜道を照らすため一万の灯火を用意しました。その話を聞いたその日の食事にも事欠く貧しい老婆は、自分も釈尊に献じたいと言って、その日の稼ぎで食べるものを買わずに油を買い、一灯を差し出したのです。その夜、釈尊は王の用意した一万の灯火の中を返っていくのですが、老婆の献じた一灯もありました。即朝、王が献じた一万の灯火はすべて消えていたのですが、老婆の一灯だけは明々と燃えていました。釈尊の弟子であり神通力第一とよばれていた目連尊者が消そうとしましたが消えません。釈尊は言われました「そなたの力をもってしても消えないのは、この一灯こそが真の布施になるからだ」と。

私には到底まねのできないことです。真の布施とはその人が持っているものすべてを差し出すことであると仏教学者のひろさちや先生は言っておられます。私にもほんの僅かですが財産があります。それは病気になった時、家が地震や台風で壊れたとき、明日の食べ物を買うためと、やはり先のことを考えてしまします。この講では、過去もなければ未来もない、あるのは今この一瞬だけだ、と言いながら矛盾ですよね。やはり煩悩から抜け出すことは出来ないようです。でも、いつの日かフジムラさんのような会社にしたいという願いだけは止むことなく持ち続けたいと想っています。

| 19年10月14日

~イチロー~

2019年9月

 

 雑誌「致知」の今月号にイチローさんのことが載っていました。この講の先月号で王さんのことを記しましたが、イチローさんとて同じです。努力の人です。心から尊敬しています。

記事の内容は試合中のことです。彼が守備を終えてベンチに戻ると、すぐにロッカールームに行ってしまう。普通の選手はドッカとベンチに座るですが、彼はロッカールームに行って毎イニング、アンダーウェアを着替えるのです。以下に「致知」P33より転載します。

“著者「他の選手はやるのですか」

イチロー「いや、僕だけだと思います」

著者「どうしてやっているのですか」

イチロー「汗が冷えて次のイニングに体調が変わるといけないので、用心のために着替えています」  (彼はアンダーウェアを十数枚、ロッカーに置いてあるそうです)

スポーツに留まらず、どの世界でも準備の大切さを語る人は多い。しかし、ここまでやる

かというくらいに準備に準備を重ね、怠らず徹底している人はいないだろう。なぜ準備を

するのか。彼の言葉が忘れられない。「言い訳を最小限にするため」“

言い訳を最小限にするためとは、いかにもイチローさんらしい表現ですね。きっとヒットを打てなかった言い訳をしない、したくない、だから最高の準備をする、ということなのでしょう。私は妻からよく「言い訳名人」と言われます。言い訳とはうまくいかなかった原因を自分ではなく他にもっていく行為です。卑怯な行為です。この記事を読んで大いに反省しています。そしてさらに彼がすごいのは、昨年古巣のマリナーズに復帰したものの、開幕から結果が出ず、5月に「会長付特別補佐」となり現役選手として残り試合には出ないことになりました。そんな状況にもかかわらずシーズン終了まで練習を続けたのです。私だったら試合に出られないことが決まっているのですから絶対にしんどい練習なんかやりません。ほとんど全部といっていいくらいそうするではないでしょうか。結果的には翌年(今年)3月21日の引退試合、一試合だけのために1年間、練習し続けたことになります。そして引退試合のあと彼はこう話してくれました。「辛いこと、しんどいことから逃げたいのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています」

 彼は翌年の引退試合に出ようが出まいが、そんなことは関係ない、ヒットを打てようが打てまいかも関係ない、どんな結果や成果であろうとも、その結果や成果にはたいした意味はない、と考えていたのではないでしょうか。それよりも結果を出すために誰も出来ないような最高の準備をし続けることのほうに人としての大切さを感じていたのでしょう。多くの人は人生がうまくいく、という結果を望んでいます。人生がうまくいくとは損をせずに得をしながらより有利な状況に自分や自分の家族を持っていきたいという考えです。不幸な生き方と思います。幸せは結果ではありません。その瞬間であり一日一日の生き方と思います。

いみじくも今日の神戸新聞スポーツ欄に4連勝した貴景勝のコメントが出ていました。「勝とうが負けようが今日は終わった」今日一日を精一杯戦った人間の言葉でした。

| 19年10月14日

~高校野球~

2019年8月

 今、夏の高校野球が真っ盛りです。彼らの勝利を目指して戦う様は時に大きな感動を私たちに与えてくれます。私は昔から甲子園の高校野球が大好きです。この講を記している前日も地元の明石商業が2回戦に勝ち8強に進みました。あいにく仕事なのでテレビを見ることは出来ませんでしたが、夜のニュースで見ることが出来ました。本当にうれしいですね。

 一方、岩手県大会で大船渡高校がエースの佐々木君を決勝で投げさせなかったことが大いに話題となりました。賛否両論色々あったみたいでしたがネット上の意見では、監督が佐々木君を投げさせなかったことを是とするものが圧倒的多数のように感じました。その理由の大半は監督と同じで、将来ある投手を潰してはいけないというものでした。高校生で160キロの速球を投げる、日本のプロ野球、ひいてはメジャーに行っても活躍するかもしれない可能性のある一人のたぐいまれなる素質を持った投手を、高校野球の地方大会ごときで潰してしまってはいけない。という風に私は受け取りました。確かにそうでしょう。過去、多くの素晴らしい投手が苛酷な登板を強いられ肩や肘を壊して、その年、爆発的な活躍をしたにもかかわらず翌年、まったく球が走らず打者に打ちのめされ引退に追い込まれた事例は私も知っています。しかし、私は敢えて皆さんのご批判を覚悟して言います。監督は間違っていたと。野球の素人の私ごときがおこがましいことですが、監督は佐々木君に「調子はどうだ」と訊いて投げさせるべきであったと思います。その結果、決勝戦に勝って甲子園に行けたかどうかはどうでもいいことです。

 多くの人は将来ある投手を故障で潰してはいけない、と言います。この場合の将来ってなんでしょう。プロ野球にドラフ1位指名されて多額の契約金をもらい、数年活躍して今度はメジャーに行き、数億円以上の年棒を稼ぎ、引退してプロ野球の監督になり・・・・・とこんなことを将来と言っているのでしょうか。名声を残し、財を残すことが人生の成功なのでしょうか。私は違うと思います。私は世界のホームラン王の王貞治氏を尊敬しています。私のそれは彼のホームラン世界記録ではありません。3冠王をとったことでもありません。王さんのホームランを打つために、私たち凡人がまねのできないような血のにじむような努力を積み重ね続けてきた、そのことに感動し尊敬するのです。軟骨肉腫のため21歳の若さで亡くなった大島みち子さんの人生に価値はなかったのでしょうか。どのような人生であっても、常に今の目の前のことに精一杯の努力をやり続けた人生こそ最も価値ある人生だと思います。私たちはあまりに拝金主義、打算主義、楽な人生送りたい主義に毒されていないでしょうか。仮に佐々木君が甲子園に出場し連投に連投を重ね、そして故障し投手生命が終わったとしても、彼のしたことは立派であり称えられるべきことであり価値あることです。投手生命の終わった彼が、その後、別の道を歩んで行き、その道で精進を重ねていけば、それは素晴らしい価値ある人生です。人間の明日の命など誰も保証できません。過去もなければ未来もありません。あるのは今だけです。今ここにある命に感謝し、今ここを精一杯生きる、それがすべてだと信じています。                    感謝合掌

| 19年08月23日

~トイレ掃除~

2019年7月

 もう15年以上前になると思います。取引先の社長がひょっこり訪ねてきて私に1冊の本をくれました。鍵山秀三郎著のたしか「掃除道」というタイトルでPHPから出版されていたと思います。(誰かに貸したまま返ってこないので、うる覚えです)その時まで私は鍵山氏のことは知りませんでした。でも読み始めていきますと面白いので1日で完読しました。その中で今でも覚えているのが、氏が掃除の啓蒙活動のため台湾に行って、そこで便器の上まで盛り上がったウンコを腕まくりして素手で押し込んで流した、という話です。イエローハットの創業者で当時、社長か会長かは知りませんが大企業経営者である人が、いかに掃除が大事であるかを伝えるためとはいえ、素手で他人のウンコを指先ではなく手のひら全体で触るなど正気の沙汰ではない、といたく感動しました。また小便器用の水こしを洗ってピカピカにし、それでもってビールで乾杯するという話も衝撃でした。それ以来、鍵山先生のファンになり今では会社の朝礼で氏の“一日一話”を社員全員で読むまでになりました。私はというと早速、鍵山先生の真似をして会社のトイレ掃除をするようになりました。(先生はゴム手袋とか使わずに素手で掃除することを勧めておられますが、私の場合、最初はそうしていましたが、残念なことにアルコールとか洗剤とかで手が荒れるようになり、今はゴム手袋を使用しています)トイレ掃除を始めた理由は簡単です。これをすれば何か良いことがあるのでは、うまくいけば会社が儲かるようになるかもしれない、という打算でした。事実、当時、朝礼で「打算でもいいから、人の役に立つことをしなさい。しないよりはしたほうがいいですから」と訓示していました。今、想い起すと自分の醜さに吐き気がします。なんだかんだ言って結局、自分のことしか考えていなかったのです。鍵山先生は何か良いことが起こるから、会社が儲かるからトイレ掃除をしなさいとは考えていないと思います。“大きな努力で小さな成果を”と言われる氏の考え方は、結果としての成果よりも今、目の前にあることに精一杯努力することの大切さを説かれたのではと思います。私が朝礼で人の役に立つことをしなさい、と訓示するのは実は「俺はこんないいことをしているんだ」と暗に自分のトイレ掃除を誇示したことにほかならないのです。これはおよそ仏教でいう徳や功徳を積む、と対極にある行為でした。良いことは人の目につかないところで、誰にも知られずにやらなければなりません。と言いつつも煩悩具足の私などは、どこか人に知ってほしい、と思う気持ちが完全に拭い切れません。でも心配はありません。人は見ていなくても神様、仏様がちゃんと見て下さっています。以下は仏教を勉強するようになって知った物語です。

 中国 梁(りょう)の皇帝武帝がインドから来た高僧達磨大師(だるまだいし)に尋ねます。「私は寺を建て、写経をし、僧を度す(助けること)ことなどいろいろやった。私にはどのような功徳があるか?」皇帝武帝は仏教庇護のためにいろいろ尽力した人です。すると達磨大師は「無功徳」と答えました。つまりあなたに功徳はありません、と返答したのです。

仏教ではとても有名な物語です。自分はこれだけのことをやった、と誇示するような人の行為は功徳ではない、というとても厳しい教えです。私たちはいつも自分を評価して欲しいという煩悩から抜け出せません。でも真に幸福な生き方を望むのであれば、自分が正しいこと、善いことと思うことを人に知られず実行していく。これが何よりも大切なのではと確信するようになりました。気付くのが遅かったようですが、少しずつ実行していきます。

| 19年07月23日

~報恩~

2019年6月

4月に行われた東京大学入学式の祝辞が一時、テレビのワイドショーなどでよく取り上げられていました。メディアでは上野先生の「頑張ってもそれが公正に報われない社会があなた達を待っています」との言葉だけが独り歩きして、その是非を問う形で議論されていたような気がします。メディア批判のつもりは毛頭ありませんが、昔からメディアは誰かがしゃべった長い一文のワンセンテンスだけ取り上げて、それを批判的に書いたり、話題としたり嘲笑の対象としたりする傾向があります。きっと短い表現で視聴者、読者の心を掴まないと経営が成り立ちにくい組織なのでしょう。致し方ないかもしれません。ですから私達はメディアの言うこと、書くことを真に受けて、惑わされたり騙されてはいけません。今はネットで何でも調べられます。(もっともネットに出ていることも頭から信用してはいけません。私は何度も騙されています)手間を惜しまず、きちんと自分で調べてから自分の意見としましょう。私も祝辞を行った上野千鶴子先生の言葉をネット上で読みましたし、ユーチューブでも聴きました。

私はこの講でよくこう記します。がんばって幸せになろうではなく、もう既に幸せなんだから頑張ろう、と。ですので上野先生の“報われない社会が待っています”との言葉を聞いた時、それは違うと、即座に反応しました。私たちはもう既に充分に報われているのだから、報われない社会と言う言葉には納得がいきませんでした。私もまた、メディアに踊らされた人間の一人でした。しかし上野先生は、この言葉に引き続き「そしてがんばったら報われるとあなたが思えることそのものが、あなた方の努力の成果ではなく、環境のお蔭だったことを忘れないようにして下さい。がんばったら報われると思えるのは、これまであなた達の周囲の環境が、あなた達を励まし、背を押し、手をもって引上げ、やり遂げたことを評価して褒めてくれたからこそです。世の中には、頑張っても報われない人、頑張ろうにもがんばれない人、頑張りすぎて心と体を壊した人たちがいます。・・・中略・・・・

あなた達の頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるのではなく、そういう人々を助けるために使って下さい。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きて下さい。・・・・」

と、すばらしい言葉が続いたのでした。

 弊社では行動指針の20番に“才能は人のため。決して私物化致しません”と記しています。これはキョーセラの稲森和夫先生の著書からヒントを得て作ったものです。上野先生はこのことを、もっとわかりやすく美しい言葉で語ってくれました。反発から入りましたが、よく調べてみれば僭越ながら私と同意見でした。がんばっても報われない社会にあっても、あなた達はもう既に報われているのですよ、だから、その恩に報いるような生き方をしてください、というのが上野先生のお考えと知りました。私たちが持っている能力は努力で身に付けたものもありますが、その根底の能力は自分の力で持ったものではありません。大いなる力によるものだと確信しています。その能力を世のため人の為に使うことはまさに、神仏の御心にかなうものです。そのような行為をやり続けることによってのみ、神様、仏様はそのご褒美として何もまして得難い幸福感で私たちを包んでくれるのです。

| 19年06月20日

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