社長のひとり言
社長の闘病記 2007年6月11日
社長の闘病記
2007.6月
先々月、生まれて初めてギックリ腰を体験しました。その日は水曜日でゴルフに行く約束をしていました。朝食の後の歯磨きをしていて、洗面所にかがんだ瞬間でした。一瞬何が起こったのか、すぐには理解できませんでした。猛烈に激しい痛みに、これはなにか新しい病気で自分に急に死が迫ってきている、ここで死ぬわけには行かない、早く救急車を呼ばねば!と考えました。激痛でかがんだ姿勢を動かすことが出来なくて、2階で寝ている妻に「おかあさん!痛い!動けない!すぐ来て!」と大声で叫ぶ、叫ぶ声でまた腰部に激痛が走る、その時にまてよ、ひょっとしてこれって世間でいうギックリ腰かなと少し分かってきました。妻は2階から降りてきて「なによ、朝っぱらから大きな声出して、トモちゃんが寝られないじゃないの」そういえば、看護婦の次女が昨夜遅く帰ってきていました。こういう時に娘がいかに見習いとはいえ看護婦というのは誠に心強いもので今度は激痛をかえりみず「トモちゃん!すぐ来て!」と叫ぶ。娘はすぐに起きて来てくれて「お父さん、ギックリ腰よ、だいじょうぶ安静にしていれば治るから、」なんと優しい娘でしょうか。激痛の中、ああ!俺は生きてきてよかった、この子のためならなんでもするぞ!と思ったのでありました。
それはそうと、この日はゴルフに行く約束をしています。ゴルフを始めて32年間、ただの一度もキャンセルしたことがないのが自慢です。雨が降ろうと槍が降ろうと雪が降ろうと、台風が来ようと、行ってからゴルフ場のほうがクローズになるということはありましたが、自分からキャンセル、ましてドタキャンなど、およそゴルフをする人が絶対にしてはいけない恥ずべき行為であると信じていました。しかし、その32年間の連続出場記録(記録はとってはいませんが約600回)もついに55歳にして途絶えることになりました。苦しいながらも妻に持ってきてもらった携帯電話で仕事仲間で友人のT氏にこのことを伝え、T氏からもう一人のメンバーのY氏に伝えてもらうよう頼みました。とても残念で悔しい思いでいっぱいになりました。でも、仕方ありません。あとは2階の自分の布団まで行き、娘が言うように安静にしようと一歩を踏み出しました。その瞬間、またも息が止まるかと思われほどの痛みがはしり、これはとても2階まで行けない、またも絶望が私を襲ってきました。(大体私は子供のときから痛みに非常に弱く、まわりから、「おおげさなと」とよく言われたものでした。痛みに関してはいわゆるあかんたれです。)階段を5分ほどかけ登りようやく2階の私の部屋までたどり着き、やっと、ふとんに体を横たえることが出来ました。痛みは少しましになりました。疲れてすぐ眠ってしまいました。30分ほど経ったのでしょうか、ここでこのギックリ腰のつらさをまたまた思い知らされました。寝返りがうてないのです。横に寝ている妻に「おかあさん、寝返りがうてない、なんとかしてくれ」妻は「うるさいはねえ!自分で何とかしなさいよ。ギックリ腰くらいで死ぬことないから」と冷たく突き放され、やむなく自分で約1分かけて寝返りしました。
私は学びました。この世の中には体の不自由な人が数多くいます。その人たちの苦労がほんの少しですが解かった様な気がしました。人の苦しみは、自分が体験しないと本当には理解できないということを。
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ソーラーサーキットの家 2007年5月11日
ソーラーサーキットの家
2007.5月
私がソーラーサーキット工法(外断熱・二重通気工法、略称SC工法)のことを著書「いい家が欲しい」で知ったのが平成13年の夏でした。そして、その年の10月に東京のカネカ(SC工法の開発元で資材供給メーカー)で研修を3日間受けました。3日目の午後からはバスに乗っての現場研修でした。その時、私の隣にたまたまマツミハウジングさん(著書「いい家が欲しい」の著者である松井修三氏の経営する工務店)に建築資材を納入している建材屋さんの営業担当の方が座っておられたので、いろいろとお話させて頂きました。その中で私が「松井さんは本の中で坪70万円以上出さないと、いい家にはたどり着かないと書いておられますが、実際のところは幾ら位で請け負っておられるのですか?」と一番気になるところを尋ねますと、すかさず「マツミさんところでは坪100万円くらいですよ。」とこともなげにおっしゃられました。私はこれはいい事を聞いた、早速、神戸に帰って100万は無理としても80万くらいで売り出してみよう、きっとうまくいく。なぜなら、こんなすばらしい工法は他にありえないし、いいものは高くても売れるものだ、と思っていましたから。
しかし、その後2年間1棟も売れませんでした。その間、カネカの営業研修などを受け、全国のSC工務店の方たちと多く交わり、情報交換することが出来ましたが、私の一番気になる価格帯についてはやはり70~80円万台の工務店が多数でありました。SC工法の初めての受注は平成16年の春でした。建物引渡し価格はお客様の個人情報に関わり詳細には書けませんので、70万円以下とだけ言っておきます。最近にお引渡したお家は坪50万円台です。春にお引越しされていますから、年末にお伺いして、今年の夏、冬の住み心地をお聴きしてみたいと思っています。少し不遜かもしれませんが、きっと、快適であったとのご報告を聞かせて頂けるものと信じています。
SC工法の発売元であるカネカもこの家は高級化路線上にあるとして、比較的裕福な人々が対象であるかのごとく言う人もいます。私は間違っていると思います。新築住宅を希望するお客様の約7割は土地をお持ちではありません。また日本人の平均年収は580万円ともききます。年収580万円、自己資金200万円のお客様が手に入れることの出来る家は、土地・建物の合計で3,200万円位かと思います。それでも、35年返済として固定資産税を含めると年間に約160万円の支払が必要です。仮に土地代に1,500万円使ってしまえば、建物の予算は1,700万円です。坪単価70~80万円の家では4LDKの間取りをとることが出来ません。けれども、50万円台であれば可能です。家にとって何よりも大事な住み心地を考えれば、私はSC工法に勝る工法はないと信じています。その工法は決してお金持ちだけのためにあるのではありません。このすばらしい工法で一人でも多くのお客様に建てて住んで頂きたい、その想いから私の会社では坪40万~50万円台で建てるノウハウを取得いたしました。少しばかり宣伝になっていますが、売り込みととらないで下さい。著書「いい家が欲しい」は私の建築でのバイブルになっていますが、この点だけ不満です。
本当にいい家は安くは出来ませんが、高くないと出来ないということでもありません。
今は自然素材ブームで、ビニールクロスの壁や合板のフローリング床などがまるで低俗なものであるかのようにいう人もいますが、私はそうは思いません。大事なことはその家が
本当の高性能住宅であるかないかということだと思います。
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社長の読書感想文 2007年4月11日
社長の読書感想文
2007.4月
「佐賀のがばいばあちゃん」という本を読みました。3百数十万部も売れて、私は見ていませんがテレビドラマにも、映画にもなったとのことです。皆さんの中にも見たり読んだり聞いたりされた方もいらっしゃるのではないかなと思います。物語はお父さんを早くに亡くした主人公の島田洋七(漫才のB&B)が昭和33年、小学校2年の時から8年間、出身の広島から佐賀の祖母のところに預けられていた時の話です。すごいというのを佐賀弁で「がばい」というので、がばいばあちゃんとなっています。笑いあり、涙ありの物語で2~3時間もあれば読めますので皆さんにもお勧めします。私も読書はよくするほうですが、時代物の小説にジャンルが偏ってしまっていましたので、久々になにか楽しく、明るい気分にさせてもらいました。巻頭のプロローグの最後にこう書かれています。「幸せは、お金が決めるものじゃない。自分自身の、心のあり方で決まるんだ。」このような類の言葉はよく見聞きしますが、この本を読み終えた後、この言葉に触れると本当に心の底から、そうだそのとおり、人生まだまだ捨てたもんじゃない、自分はきっと幸せになれる、とこう信じられるようになるのです。そして、ひょとすると貧乏の中にこそ本当の幸せがあるのかななどと思ってしまいます。
巻末に特別付録とタイトルが付いて、がばいばあちゃんの楽しく生きる方法語録として二十数編の言葉が載っています。ここでは4つだけご紹介しておきます。①悲しい話は夜するな。つらい話も昼にすれば何ということもない。②時計が左に回ったら、壊れたと思って捨てられる。人間も昔を振り返らず、前へ前へと進め。③貧乏にも二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも心配せんでもよか。自身を持ちなさい。うちは先祖代々貧乏だから。④人間は死ぬまで夢をもて!その夢がかなわなくても、しょせん夢だから。
私も経営者の端くれで、成功を収めた経営者たちの本もよく読みます。ナショナルの松下幸之助氏にキョーセラの稲盛和夫氏、ソニーの盛田昭夫氏等など。
彼らの語録とはまったく違った言葉でがばいばあちゃんは言っています。でも
よく考えれば言っている事は全部同じです。そしてそれでいて、私のような庶民にはがばいばあちゃんの方がずいぶんと分かり易いのです。
それにしても、本の第15章"最後の運動会"を読んで涙するのは私だけでしょうか。広島から佐賀に来て8年目の運動会。運動会には一度も着てくれなかったお母さんが、最後には来てくれて、マラソンを走っている主人公と家の前で交わす会話「昭弘―!頑張ってー!」 中略 「かあちゃーん、速かろうが!勉強ばできんばってん、足は速かろうがー!」かあちゃんも、涙に声をつまらせながら、返して来る。「足はかあちゃんに似とっばってん、頭はとうちゃんに似とったい!」 中略 そして田中先生「ウッ、ウッ」と、声を押し殺して男泣きに泣いている。「徳永、良かったなあ。かあちゃん、来てくれて」
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社長の研修報告 2007年3月11日
社長の研修報告
2007.3月
先月、当社の目標でありお手本としている神奈川県川崎市のT社社長のS氏の研修会が大阪でありましたので参加しました。昨年の2月に教えを請うため川崎市のT社を尋ねていますから、ちょうど丸1年ぶりにS社長のお話を聴くことになりました。T社のことは昨年の3月号で述べました。内容は大手ハウスメーカーと不動産屋の下請けとして長年家造りをやってきたが、残ったのは2億円の借金と、まもなく倒産するという事態だけでした。そしてそこから、元請になると決心され、一か八か下請けを一気にやめ、結果的には4年で年商
18億円の中堅優良ビルダー(工務店)になられたお話です。話は重複しますが私がT社をお手本とするのは、年間完工棟数を80棟、施工範囲を会社から
半径10kmと定め、決してそれ以上規模の拡大を求めないという経営姿勢に
大いに共感するからです。以前からすばらしい経営者であると尊敬していましたが、今回の研修会でその想いは益々強烈なものになりました。少しだけですがS氏の講演内容の一部をご紹介します。
半径10kmで80棟完工できるようになれば(去年が約70棟)次はその
半径を縮める。まず8kmにし、それで80棟出来る様になれば、次は5km
で80棟をめざす。そして、最終的には半径3kmを実現できるようにする。
こんな話もされました。ある時、とても忙しくやむを得ず普段は使わない大工に仕事をさせたら、案の定とても出来の悪い新築が出来てしまった。これはきっと大クレームになるだろう、相当な手直し工事が必要になるかも、と覚悟を決めておられたそうです。ところが、そのお施主様はクレームどころか反対に大層喜ばれ「いい家を造っていただいて有難う。」と感謝の言葉を何度も言われたそうです。この話と正反対に、ある現場でどこから見ても最高の納まり、最高の仕上がりで非の打ち所のない新築が出来上がりました。お施主様はきっと喜ばれること疑いなしと思っていたところが、この現場のお施主様とは2年半クレームを引きずって未だにトラぶっているとのこと。なぜ、このような結果になったかはすぐに分かりました。工事中の現場に来られるお施主様に対する大工の対応に問題があったのです。不出来の現場の大工はとても丁寧に親切に愛想良く対応し、最高の現場の大工は、愛想が悪く、質問に対してもぶっきら棒な答え方をしていたそうです。
S氏は最後にこう言われました「我々は往々にして、いいものを造れば必ず売れる、お客様は喜ぶ、と考えがちだが実はそうではない。私達が売らねばならないものは家という箱(ハード)ではない。お客様と一緒に幸せを造るんだという心(ソフト)を買って頂くべきなのです。」そのために、棟数の上限を決め、半径を縮めればもっともっと良いサービスを提供できるはず。
私は、こんなすばらしい経営者が関東でがんばっておられることを励みとし
今後、仕事をしていきます。そしてまた、このようなすばらしい人に出会えた幸運に感謝しています。
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ある日のできごと 2006年10月11日
ある日のできごと
2006年10月
今日、午後8時30分頃家内から携帯に電話があり、「トモちゃんがシャワーしてたら、お湯が出なくなったのよ。お父さんも来てるし早く何とかしてよ。」
我が家は以前にも書きましたが、築15年もうじき16年になるというボロ家です。その中で、たった一つの自慢が16号の給湯器が一度も壊れずにここまでもってきたという事でした。でもさすがに、約16年、寿命がきたと言わざるを得ません。運の悪いことに、家内の父が広島から昨日着いたばかりのときだったのです。私が「この時間から修理に来てくれる人は日曜だしいないよ。それに
修理ではきかない。交換するしかないから、最短でも水曜日だよ。」とやさしく言いました。でも電話口からは、そばで上の娘の由佳が「今日中に絶対にお湯が出るようにしてよ。まったくー」とわめいているのが聞こえてきました。
管理物件の入居者から、「湯が出ない、早く何とかしろ!」とよく怒られましたが、わが娘からも同じように言われるとは、なんと情けない。
家に真っ直ぐ帰っても風呂に入れないので、銭湯に行くことにしました。幸いにも多満津の里という銭湯がすぐ近くにあるのを知っていましたから、「お父さんは銭湯に行くけどお母さんと由佳とお義父さんも行くか。」「私と由佳はおねえちゃんのとこでお風呂に入らせてもらうからいいわ。お義父ちゃんは別に入らなくてもいいって言ってるから。」
私は一人で初めて多満津の里に行きました。手ぶらで行きましたが、向こうで何でも売っているので困りません。お風呂はお湯も結構きれいで、適温で、露天風呂とか泡風呂とかサウナとか色々あってすっかり気に入りました。
10時ころ家内と娘を義姉のところに迎えに行って、それから家に帰りました。
義父に「お義父さん、お風呂に入れなくてどうもスイマセンでした。」義父は
「わしゃーなんともなーで。1週間くらい風呂なんか入らんでもどうもなーで。」と広島弁で気遣いの返事でした。ありがたい事です。私の家族とは大違いです。
義父は今、80歳。広島県の今は呉市と市町村合併で呼び方が変わりましたが、確か一昨年までは豊田郡豊浜町斎という住居表示でした。現在の人口が25人ほどの正しく離島です。私も若い時に何度か行ったことがありますが、すごくいいところです。まず、車が1台もない。お店も一軒もない。医者もない。あるのは澄んだ海水と、入れ食いの魚、人情あふれる島の人々です。あまり、すばらしいので都会から移住してきた夫婦が二組いるそうです。義父は現役のころ外国航路の貨物船の船長をしていたそうです。いかにも海の男です。風呂の一つや二つ、入れようが、入れまいがそんなちっぽけなことは本心から気にしていないのかもしれません。私はそんな、義父が大好きです。私の実の両親はもう亡くなっていますので、よけいにそう思うのかも。お義父さん、いつまでも元気でね。
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