社長のひとり言 

私の夢 2009年1月11日

私の夢

2009年1月

今年のお正月、私の家族は全員で4人ですが3人しか揃いませんでした。看護婦の次女が休めなくて年末も年始も、帰ってきませんでした。去年のお正月は全員が揃い、このうえもなく、幸せなひと時を過ごすことが出来ました。(詳しくは2008年1月号をご参照下さい)次女が職業として看護婦を選ぶと聞いたとき、私は大賛成しました。理由は、正直に言って食いっぱぐれがないのでは、という計算がなかったわけではありません。しかし、世の中はよくしたものです。食いっぱぐれがないぶん、休みもない、と。でも、よーく考えてみれば、病院に勤務していて、盆もクリスマスもお正月もない患者さんのことを思えば、次女が帰ってこないという私の不満など、まったく取るに足らない愚痴そのものでしかないと気付きました。お正月も患者さんのために休まず働いている娘のことを誇りに思うことにしました。
 長女は去年同様、1月2日から仕事です。暮れの29日に帰ってきましたが、元旦にはもう大阪に戻るとのこと、わかっていたとはいえ、これもさびしい限りです。私はよく他人に、「あなたは子離れしていない。それでは本当の意味で、子どもは成長しませんよ」などと偉そうに意見します。これも、よーく考えてみれば、私自身のことかなと。正に、言うは易し、行いは難しであります。
 というわけで、結局のところは妻と私の二人ぼっちになるわけですが、これは私は慣れていませんが、世間ではごく普通のことではないかと思います。私の知る限り、夫婦二人だけで暮らしているご夫婦は、総じて円満です。当然、我が家もそうなるべく、私なりに努力しています。にもかかわらず、どこの夫婦もそうなのでしょうか、結婚生活の長さと、夫の地位低下は比例するという事実。決して、妻より優位に立とうなど夢にも考えたことはありません。人間は皆平等ですから、当然、夫婦も対等で平等であるべきです。しかし、近年の我が家では、明かに不平等が横行しております。去年の5月は結婚25周年(銀婚式)記念で湯村温泉に二人で行きました。妻も湯村温泉が結構気に入って、私の記憶では確か、来年も行こうねと、妻が言ったのです。その妻が私をおいて今月(1月)21日、22日と義姉とお友達の3人で湯村温泉に行くそうです。1月22日は私の57回目の誕生日です。この歳になると、今年も生き延びたぞ、という独特の感慨が湧いてくるものです。そのめでたい誕生日を祝ってくれる娘たちもいない、妻もいない、妻よ!去年の約束はどうなってるんだ! スイマセン、また愚痴になってしまいました。 これが世の夫の定めなのでしょうか。
 私の今年の夢は、一回でいいのです、家族4人で温泉に一泊旅行することです。まことにささやかな望みだと思うのですが、それも、はかない夢と化すのでしょうか。     みなさん、応援してくださいね。



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社長の温泉日記 2008年12月11日

社長の温泉日記

2008.12月

先月、この講で高野山と龍神温泉に行ったことはお伝えしました。実はその後3度も温泉に行ったのです。1ヶ月間に4ヶ所、温泉に行ったのは生まれて初めてのことです。この不景気になんと贅沢なと、反感をもたれてしまうのは不本意ですので、後の3ヶ所のことを少し聞いてください。
 龍神温泉は11月5日6日で、これは完全に家族旅行(義父母、妻、私)でした。その翌週の12日13日と塩田温泉に、この講によく出てきます私の学生時代以来の友達3人と計4人で行きました。H君を除くこのメンバーとは7月にも山口県の湯田温泉に行ってきましたが、このときH君は、参加できませんでした。H君は、お伝えしていますように現在、人口肛門です。知らなかったのですが、大腸がないと体の水分補給がスムーズにいかないそうです。だから、真夏の7月、8月は大量の汗をかくので、とても危険なのです。それで、彼への埋め合わせを兼ねて、11月の涼しい時期に行くことにしたのです。もっとも、今年の3月に大阪証券取引所を早期退職したO君は、現在働きに行っていませんので、暇を持て余しているという事実もあります。
 私も経営者として、株価が大暴落して不景気になってきているということが、とても気になっていましたので、現在、投資家としてのO君、公認会計士のU君、運送業経営者のH君らの意見を、是非にも聞いてみたいという思いもありました。尋ねてみましたところ、O君、U君の今後の予想は非常に厳しいものがありました。株価はまだ下がる可能性が大である。その理由として、アメリカの不動産価格はまだまだ高い、日本のバブル崩壊時の地価は、半値八掛から半値六掛以下になった。それにならえば、アメリカの住宅価格は、まだまだ大きく下がる余地がある。したがって、金融機関の不良債権はますます膨らむ。だから株はまだ下がる。とのことでした。
私の考えはこうです。(素人の考えととってくださいね)現在、世界の人口は67億人、誠にお気の毒ですが、その内、5億人から8億人が飢餓状態にあるそうです。そこそこ物質的に恵まれた生活ができているのは10億人くらいではないかと推測しています。そうすれば残りの約50億人の人々は、日本でいえば恐らく昭和20年代頃の生活をしている方が大半と思われます。近年の情報化社会では、彼ら50億人の人々も当然、先進諸国の人々の生活水準を知っています。彼らの多くは必ず、物質的豊かさを求めているはずです。50億人の人々が、もし仮に、毎年5%成長を目指し、実行していけば、日本のような外需依存型国家(輸出立国、技術立国、人口:1億2500万人)はきっと、50年、100年に亘って、その恩恵に与れるに違いありません。(私達、日本人は飢餓状態の人々も含め、67億人の成長発展に寄与し続ける義務があると思います)1年2年の不景気は続いても、景気は絶対に回復すると信じています。
 友人たちとの飲食、マージャン、会話は30年以上も同じことを続けてきましたが、まったく飽きることなく、面白く新鮮です。塩田温泉は私は3度目でしたが、友人たちは初めてだとのこと、お風呂も、お部屋も、料理も、マージャン部屋も大満足でした。来年2月の再会を約し、お開きになりました。

 11月19日、20日は会社の慰安旅行でした。社員と協力業者(職人さん達)の方々、合わせて20名で、川湯温泉に行ってきました。川湯温泉を決めたのは私です。一度も行ったことがなかったので、どうしても、川沿いの露天風呂(仙人風呂)に入りたかったのです。
 貸切の観光バスは後部にテーブルを挟んで席のあるタイプです。私は車酔いしやすいので、いつも一番前に座ります。去年もそうでしたが、アルコールが入って、後ろの方は大騒ぎです。一人さびしい私はウイスキーのポケット瓶を、持参していましたが、温泉に着いた頃はほとんど空になっていました。結構酔っていたのだと思います。浴衣に着替え、仙人風呂の湯に浸かろうと入っていった瞬間、足を滑らせて温泉に頭から突っ込んでしまいました。深さは50センチくらいでしょうか、一瞬溺れそうになりました。(みなさん、飲酒してのお風呂は危険ですから絶対にやめて下さいね)起き上がって、周りを見ると、仲間たちが、十数人いました。どういうわけか皆そろいのパンツをはいているのです。私「みんな、なんでそんなパンツはいてるの?」仲間「旅館でこのパンツはいて風呂に入るように言われましたけど」私はノーパンでした。日本では風呂に下着を付けて入るような習慣はないはずです。私「こら!君たち!全員パンツを脱げ!」誰も脱ごうとしません。そうなると、自分が間違っているのかな、これはどうやら酔っ払いすぎたみたいかな、-------まあどっちでもええわ。 時刻は午後4時半くらいだったと思います。夕暮れの川湯の空はどこまでも青く澄んでいました。露天風呂に遊ぶ仲間達の楽しそうな声と、広々とした清らかな温泉の湯と、紅葉の混じった美しい山々は、酔いと相まってこの世の極楽を一瞬感じさせてくれました。
 翌朝は二日酔いです。不覚にも前夜のことは途中までしか覚えていません。
川湯温泉から谷瀬のつり橋までは地獄の道中でした。狭い道をバスが右に左にカーブを切ると、思わず吐きそうになってしまい、いい年をして恥ずかしいのですが、途中の道の駅で止めてもらい、トイレに駆け込みました。後で聞けば、私以外にも5~6名が気分が悪く真っ青になっていたとのことでした。会社に戻ってきたのは、翌日の午後4時頃、最悪の体調でした。顔色の悪い仲間の一人が「社長、来年は遠くても真っすぐな道のとこにしましょね」とつぶやき、帰っていきました。

 川湯温泉から帰ったその二日後、私と妻は岡山発、松山行きの特急しおかぜに乗っていました。旅行の目的は、叔父さんの49日法要です。亡くなった私の父は松山の出身で8人兄弟(姉妹)です。(私の父以外の叔父、叔母はみんな松山で生活)このたび、一番上の叔父さんが亡くなられ、お葬式には出席できなかったので、いとこ(喪主)には49日には必ず出席させてもらいますと約束していました。私の予測ではもう1週あとかなと思っていましたが、結局11月22日になりました。妻はどうせ行くなら道後温泉に泊まりたいというもので、すぐに、宿を探しました。ところが3連休の初日で、しかも女子プロゴルフのトーナメントが松山で開催という最悪の条件がそろってしまい、道後、奥道後と温泉はおろかビジネスホテルまでもすべて満室という状況でした。やむなく、松山から今治に抜ける山中に鈍川温泉という温泉があって、1部屋だけ空いている(ただし、洋室でダブルベッド)とのことでやむなくそこを予約しました。
 法事を終えて、タクシーで宿に向かいました。着いた時はもうすでに日は落ちていました。谷あいですので、景色はほとんど見えません。旅館は和風でかなり古そう。部屋に案内してもらうと、妻が急に不機嫌な顔になりました。部屋は約4帖半のスペースと小さなダブルベッド。妻が「お父さん、本気でここで寝るの?」結婚して25年になりますが、妻も私もダブルベッドで寝たことは一度もありません。たぶん、新婚旅行でもなかったように記憶しています。食事は部屋食ですが小さなテーブルに載りきりません。床の空いたところに食べ物を置かれました。法事で3時ころに結構食べましたので、あまり食欲がありません。しかも、二日前に二日酔いでした。よせばいいのに、お酒を飲んで食欲神経を麻痺させ、ほとんど平らげました。ああ苦しい、食い過ぎだ!
初めてのダブルベッドは結局、二人ともほとんど眠れませんでした。それでも、谷あいに建つ旅館からの眺めは結構、すがすがしいものがありました。朝湯に入ると、少しは元気も食欲も出てきました。
今治に出て、そこから特急しおかぜで帰りました。列車から望む瀬戸内の海と、島なみは本当にいつ見ても美しく、この日も晴天に恵まれ、きびしかった今月のスケジュールをやりこなした充実感と相まって、まさに晴れ晴れとした気持ちになれました。

 ひと月に4度の温泉旅行を体験して、私は大いに学ぶことが出来ました。65歳になったら引退しよう、あとは後継者に任せてと、前々から考えていましたが、この度の体験で、この考えを改めました。社長は後継者に任せても、自分は死ぬまで現役でいようと決心しました。旅行に行く前、大好きな温泉に4回も行ける。どんなに楽しいだろうと、とても幸せな気分でした。しかし、終えてみて、正直、充実感はありましたが、楽しかった、幸せだったという感覚が、あまり湧いてきません。このことは引退して毎日が休日になったら、どんなに楽しいだろうと想像していた私には、大変なヒントになりました。いくら大好きな温泉でも、毎週、毎週続けるよりも、たまに行くから楽しく、幸せな気持ちになれるということ。毎日、毎日が休日では、決して楽しくはないということ、仕事があるから、人の役に立てるから、楽しく、幸せである。このことに、いまさらながら気付きました。
 この世に起こることはすべて価値あることばかりであるという、飯田先生の教えも実感できました。楽しく、苦しい1ヶ月でしたが、今は少し成長できたかと満足しています。



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高野山と龍神温泉 2008年11月11日

高野山と龍神温泉

2008.11月

義父はほぼ毎年、我が家にやってきます。義母は淡路島の洲本温泉に行って以来の2年ぶりです。義父は毎年、この時期に勤め上げた船会社のOB会が神戸で開催されるので、必ずやって来ます。義母はどういうわけか、義父がOB会に参加することにいつも反対するそうです。今年は恒例の会場(タワーサイドホテル)が倒産したので、中止になり義母は喜んで一緒に来ました。
そして、私と家内と義父母の4人で、高野山と龍神温泉に行ってきました。もちろん、私の運転する車でです。今年の夏休みは家内の実家(広島県の島の義父母の家)に行きましたので、私は亡くなった両親の墓参りをしておりません。兄から高野山に両親の骨を納めたと聞いていましたので、義父母孝行と旅行と墓参りを兼ねて行くことにしていました。
高野山は私が小学校の時、林間学校で一度行っただけです。今から40年以上前のことです。かすかな記憶を呼び起こせば、そこは神聖と静寂に包まれた正に聖地であったかと、そんな覚えがありました。
行きは父鬼街道から西高野街道を通って高野山までたどり着きました。社員に元観光バス運転手がいますので、事前にどの道が良いか情報を得ていました。社員いわく「社長、道は少し狭いですけど、うっそうとした杉林の中を走るのは気持ちええですよ」その言葉を真に受けてしまいました。約1時間、平均幅員3mのくねくね山道(国道480号線)を走り続ける事が、これほどのストレスになるとは思いませんでした。途中、前から来た車のため3度狭い坂道をバックする羽目になりました。ガードレールがあればまだしも、ガードレールのない崖の際に車を寄せることほど怖いことはありません。高野山に着いたときはかなり疲労していました。(神戸を出てから約3時間)そして、そこにあったのは神聖と静寂ではなく、喧騒と観光の聖地でした。事前にもっと調べておけばよかったのですが、高野山といえば金剛峰寺と奥の院の二つしか知りませんでしたので、西から高野山に入ると金剛峰寺が先に現れます。昼食をとるべく付近の駐車場に車を入れようとしましたが、平日にもかかわらずほぼ満車、かろうじて障害者用スペースひとつだけ空いていました。幸いと言っていいのかは大いに問題ですが、義母は足が悪く今回の旅行も車椅子を積んでいます。そこで、迷うことなく障害者用スペースに駐車しました。街では障害者スペースでも健常者が平気で駐車していますがさすが、高野山。訪れる人は全て善男善女。この件ばかりは救われました。しかし、食べるところに難儀しました。義母を車椅子に乗せていますので、あまり活動的には動けません。私が、斥候のようにあたりを偵察し、かろうじてお弁当屋さんを一軒見つけました。ところが、時刻は午後の1時15分、早くも商品はほぼ売り切れ状態、かろうじてバッテラと巻寿司で1人前分だけ確保しました。車の中でその1人前分を4人で分け食べました。私は30秒で食べ終わると再度、偵察に行き、1軒の店を見つけ、中でお客さんがカレーを食べているのを見、取って返して全員でその店に入りました。メニューはと思いきや、お店の人「今はカレーしかありませんけど」私「ビールは?」お店「置いてません」83歳の義父はお酒が大好きです(私もですが。)旅行の時くらい昼から飲んでも罰はあたるまいと考えています。仕方ありません。ビール無でカレーライスを食べました。ここだけの話ですが私にはあまりおいしくはありませんでした。家内も同意見です。(スイマセン不謹慎なこと言って) ここでも私は3分で食べ終わり、3人が食べている間にさらに偵察。渋滞の中、東に車で5分ほど行くと、ここが奥の院かと思われるところを発見しました。そこには食堂が5~6軒ありました。しかし、後の祭りです。帰り(明日)にもう一度ここに来て、今日の昼食の恨みを晴らそうと決心しました。
 元の場所(3人が食べているところ)に戻って、それから奥の院の手前(西)の道路上の駐車スペースに車を止め、墓場を通って参堂に出ました。(翌日になってここがメインの参堂ではないことが分かるのですが)石畳の階段の部分が多く、義母は自分で歩くと言い出しました。多分、乗っているのが怖くなったのでしょう。私は空になった車椅子の片方の車輪を階段の縁石に載せ運んでいました。大勢の観光客がどんどんと私たちを追い越して行きます。すると、一人の外国人男性(白人、歳は35歳位かと思える)日本語で「テツダイマスヨ」と言って、親切にも私から車椅子を取り上げて、階段を運んでくれるのです。私が「いいです。いいです。」といっても「ダイジョーブ、キニシナイデクダサイ」とたどたどしい日本語をしゃべり、ニコニコしながら運んでくれました。正直助かりました。外資系企業の勤務経験のある家内からよく聞いていました「外人さんはほんとに親切よ。日本人はもっと見習わなくちゃ」その言葉を思い出しました。ここに来るまで、しんどいことばかりで(自分の性格と、調査不足が原因)ほとほと疲れていましたが、この出来事が、私のストレスと疲れを、吹き飛ばしてくれました。  高野山はやっぱり、お大師様(弘法大師、空海)の聖地でした。
 
 龍神温泉に着いたのは、もう日も暮れた5時過ぎでした。奥深い山あいの露天風呂に浸かると、聴こえるのは川のせせらぎと、岩風呂に注ぎこまれるやわらかいお湯の音だけでした。思わずひとり言が出ました「ああ~、疲れたあ、-----ああ~、きもちいい!」
 



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いびきと腰痛 2008年10月11日

いびきと腰痛

2008.10月

実は今、大変困っていることがあります。腰痛といびきです。腰痛の直接の原因は先週、洗面化粧台で年甲斐もなく朝シャン(朝、髪を洗うこと)をするべく無理な姿勢を長く続けたことです。それと9月から10月にかけて普段の運動不足を補うため、3週間連続(毎水曜日)でゴルフに行ったことも影響しているかもしれません。腰痛は自分自身に痛いという自覚がありますから、なんとか直そうと努力します。ところが、自分のいびきというのは自分で聴くことは、まずありません。そこで、人に迷惑を掛けているとは、充分に知りながら、なかなか直そうとしません。しかし迷惑を掛けているのは事実ですから、ほおっておいて、そのままで済む訳はありません。迷惑を蒙っている人から反撃されるのは、当然の結果ともいえます。
2~3年前から、妻にいびきのことは度々言われていました。私はあまり気にも留めずに「お母さん(妻のこと)、気にしすぎやとおもうで。気にせんと寝とったらええんや」と無神経極まりないことを言っていました。妻とは子どもたちが自分の部屋で寝るようになってから、ずっと二人で6畳の和室で寝ています。2年前に、下の娘が大阪に引っ越した時、妻が「お父さん(私のこと)これからはトモちゃんの部屋で寝たら?」私「いやや、怖い夢見た時にこまるやないか」 私は時々怖い夢を見て、うなされたり、絶叫したりすることがあります。原因は、テレビでホラー映画や怪談を見た後で、胸の上に手を置いて寝ている時が多いように思います。妻が横にいて私を起こしてくれますので、私は大いに助かっています。さもなければ悪夢の中から覚めることなく、ひたすら恐怖を味わい続けなければなりません。これは地獄です。
 妻は以来ずっと耐え続けてきたのでしょう。しかし、忍耐にも限度というものがあります。ここ数ヶ月、私は夜中によく目が覚めるようになりました。最初はよく眠っていて分からなかったのですが、どうやら妻に身体を蹴飛ばされていることに気付きました。または、上を向いている私を無理やり横向きにしてしまうのです。翌朝、妻に「お母さん、もしかしてお父さんを蹴ってない?」妻「ううん、蹴ってなんかないわよ。いびきがあんまりうるさくて眠れないから、ちょっとつついただけよ」妻はうそをついています。私が「お母さん、お父さんを横向きにしてない?」妻「ううん、少しだけ背中を押してあげてるだけよ。横向いたらいびきが止まるから。でもすぐに上向きになるのよね。そしたら、又いびきが始まるの」 私はこの数ヶ月、ほとんど毎夜、妻に蹴られていると思います。
いびきの原因は分かっています。ずばり、メタボ(肥満)になっているということです。30年前、私の身長、体重は176センチ、58キロでした。3年前は70キロでした。今は75キロになりました。ウエストは88センチあります。確実にメタボです。食べすぎ、飲みすぎ、運動不足→メタボ→気道が狭くなる→いびきをかく、の典型です。ダイエットすれば、少しはよくなるはずです。3年前から同じことを言ってます。どなたか、意志の弱い人間にもできるダイエット、あるいはいびきを減らす良い方法をご存知ないでしょうか?



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生まれ変わり 2008年9月11日

生まれ変わり

2008年9月

 『生きがいの創造』という本を読みました。著者は飯田史彦といい福島大学の経済経営学の教授でベストセラーになったそうです。私は本好きで小説をよく読みますが、いわゆる"生き方本"もよく読みます。しかしこの本は初めてで同友会(中小企業の経営者の団体)の仲間から紹介されました。読み終わって正直、人生観が少し変わりました。
 内容は文庫本400頁にも及びますので、私ごときがまとめ上げてご披露することなどはなはだ僭越で出来かねます。そこで今回は本の中からそのまま数箇所抜粋してみることにしました。本のサブタイトルは"生まれ変わりの科学が人生を変える"となっています。

P32『はじめに  本書は「死後の生命」や「生まれ変わり」のしくみに関する科学的研究の成果を、わかりやすく整理してご紹介し、それらの研究から得られる知識を活用することによって、私達の人生観がどのような影響を受け、日々の生活がいかに素晴らしいものへと変わるだろうかということについて考える、新しい観点からの「生きがい論」です。-------』    
P94『ジョエル・L・ホイットン博士(トロント大学医学部精神科主任教授)が偶然に「中間生(人生と人生との間の生、俗にいう「あの世」)の存在を発見したのは、ポーラ・コンシディンという42歳の女性に退行催眠を行っている時のことでしたポーラは安定した気質の持ち主で-----------ごく普通の北アメリカの主婦でした。彼女はホイットン博士から通算百時間以上にのぼる退行催眠を受け、自分の長い生まれ変わりの歴史を整然と物語りました。ポーラの口から語られた過去生をたどっていくと、古代エジプトの奴隷の娘として生きた時までさかのぼりましたが、ほとんどが女性としての人生でした。例えば、「テルマ」という名前の人生ではジンギスカン時代の族長の娘でしたが16歳の時に戦いで殺されました。また1241年に34歳だった「オーガスタ・セシリア」という名前の人生では、一生のほとんどをスペインとの国境近くのポルトガルの孤児院で過ごした尼僧でした。さらに1707年に17歳だった「マーガレット・キャンベル」という名前の人生ではカナダのケベック市近郊に住み、のちに毛皮を商う猟師と結婚しました。そしてポーラが1822年にアメリカのメリーランド州の農場で生まれ、若くして農家の階段から転落して死んだ「マーサ・ペイン」という名前の娘であった人生を思い出していた時のことです。ホイットン博士は、何気なく「あなたがマーサ・ペインとして生まれる前に戻ってください」と指示してみました。しかし正しくは「マーサ・ペインとして生まれる前の人物に戻ってください」と指示するべきだったのです。「生まれる前に戻ってください」と間違った指示を受けたポーラは、突然、こう語り始めたのです。「私は------空の------上にいます。農場の家や納屋が見え-----朝早くて------太陽は昇りはじめたばかり-------。刈り取りを終えた畑は、真っ赤に------真っ赤に染まって-----長い影ができています-----」  ポーラが「空の上」などにいるはずがありません。うろたえたホイットン博士は途方にくれて、さらにたずねてみました。  
「あなたは、空の上で、いったい何をしているのですか」
「私は-----生まれるのを-----待っています。お母さんのすることを----見ているところです」
「お母さんは、どこにいるのですか」
「お母さんは-----ポンプの所で-----バケツに水を入れています。とても大変そう」
「なぜ、大変なのですか」
「私の身体の重みで-----おなかに気をつけて、と、お母さんにいってあげたい-----母体のためにも、私のためにも-----」
「あなたの名前は?」
「名前は-----まだ、ありません-----」
このように、自分の身体が上空に浮かんでいるという記憶を持つ被験者は、今では当たり前のこととして、多くの研究者から報告されています。------』
P98『-------さらに、十八種類もの学位を持つエリザベス・キューブラー・ロス博士は、過去十年以上も視力がなく目の見えない患者たちが、臨死体験中に、自分を見舞いに来てくれた人々の洋服や宝石の色、セーターやネクタイの色や形までを確かに「見」て、正確に描写することを確認しています。これらの事実は、肉体を離れた意識体(俗にいう魂)の実存を示す、有力な証拠とされています。』
P175『-----つまり俗にいう「愛のキューピット」は迷信でも創作でもなく、実際に存在する「自分の両親になる予定の男女を結び付けようとがんばっている意識体」たちのことを言っていたのです!--------仙台市にお住まいのMさんによれば、現在小学生のお嬢さんが四歳になった頃、------突然想い出したように、こう話し始めたのだそうです。
「お母さん、私、お父さんとお母さんが結婚するのを、お空の上から見てたのよ」
「えっ?どういう意味?」
「私、お父さんとお母さんが結婚すること、知ってたの。そしたら、私が生まれることも知ってたのよ」
「へ~、そうなの------」
「生まれる前、今度はどのお母さんがいいか捜して、お父さんとお母さんのところに生まれよう、ってきめたの」
「ど、どうしてお母さんたちを選んだの?」
「え~とね、神様みたいな人に相談したら、今度はお母さんのところがいい、って教えてくれたの」-------』

実は私も似た体験をしています。我が家の次女のことですが妻から聞きました。
次女が3才頃のことです。その頃次女は喘息の発作がよく出て、とても苦しんでいました。ある晩のことです。発作に苦しみながら次女は妻にこう言ったそうです。
「お母さん、私、生まれてくる前は、神様のところにいたの。すごくいいとこころで、
すごくしあわせだったの。だから早く、神様のところに帰りたいの」と--------
幸いにも次女は現在23歳で看護師をしています。喘息は完全ではありませんが、ほとんど治っています。ちなみに、次女がそう言った時、私は横で熟睡中であったそうで、翌朝、妻から厳しく叱責されたことをよく覚えています。

P138『果てしない成長の追及  ホイットマン博士やワイス博士をはじめとする退行催眠の研究で、いちばん興味深い成果は、肉体にやどっていない状態(中間生にいる状態)のあいだに、私たちが自分自身で、次の人生を計画するというしくみがわかったことです。被験者たちは、指導役の意識体たち(光の存在)の前で終えてきた人生を振り返って反省したのち、彼ら(彼らといっても、性別は感じられないそうです)の助言を参考にしながら、自分で次の生まれ変わりの人生計画立てたことを思い出します。この時、何度もの人生を通じて太いきずなを築き上げてきた、ほかの意識体たち(のちに説明するソウルメイト)と相談しながら、次の人生を計画することが多いこともわかっています。この相談の時、物質界での再会のチャンスをのがさないよう、たがいの誕生の時と場所をきちんと打ち合わせておかなければなりません。被験者たちの証言によると、このような「グループ転生」は、頻繁に繰り返されており、互いに仲が良い場合も悪い場合も、過去生に登場した人物と、再びかかわり合うことになるのだそうです。ホイットン博士の被験者の一人はこう語ります。
「前世で、十分な扱いをしてあげなかった人たちがいるので、この世に戻って、借りを返さなければなりません。今度、彼らの方が私を傷つける番になっても、許してあげるつもりです」----------』
P141『人生設計のしくみ-----私たちは、自分で自分に与えるべきいくつもの問題(人生の課題)が、人生の最適な時期に生じてくるように、いわば「自動発生装置」をしかけておきます。その問題が生じた時に「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」を選ぶか、逆に「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」をえらぶかという、大きく二通りの選択肢を用意しておくのです。--------そして、その問題に直面した自分が、ここで「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」で対処することを選ぶことができた時、私たちはその問題を見事に解いたことになり、成長の階段をひとつ上がることができます。もしも、そこで「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」を選んでしまった場合には、依然としてその問題は残ったままで、さらに厳しい試練に直面するようなしくみを用意しておくのです。 したがって、次々とあらわれてくる問題に対して、つねに「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」で対処するよう心がけていれば、その人生は、どんどん楽しい方向へと進んで行き、自分を助けてくれる温かい人々が不思議なほど次々とあらわれ、充実しきった人生になっていきます。しかし、いつも「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」で対処ばかりしていると緊張、争い、疑い、敵意に満ちた方向へと進んで行き、転落と苦難につながる事件が不思議なほど次々おそってきたり、自分を守ってくれる人々が次々と去っていき、厳しくさびしい人生になっていくのです。-----------』

私が経営者の道を選ぶと決めた時、自分には20年のサラリーマン経験がある。社員としていろんなうれしいこと、嫌なことを体験してきた。だから、私には社員の気持ちがよく分かる。私の元に来てくれる社員には絶対にいやな思いはさせずにおこうと考えましたし、またそうする自信もありました。ところが、いざふたを開けてみますと、そう思ったとおりにはなりませんでした。自分で採用しておきながら、社員のお客様に対する姿勢を厳しく見つめすぎていた等の結果、いろんな理由を見つけては「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」で対処していた時期がありました。結果は本に書いてあるとおりです。
同友会で「人間尊重経営」「労使見解」等々いろいろ学びました。人は決して人を使えない、社員は会社の理念を実現するための最も信頼できるパートナーである、
ことも学びました。しかし学んだからといって、即実践できるわけではありません。
なぜ実践できないか?答えは正に「自分」であることに気づきました。いつも自分というものが他より優先して、まったくの無私にはなっていなかったと思います。今は少しでも完璧な忘己利他に近づくことを目指してがんばっています。
その中で出会ったのがこの「生きがいの創造」という本でした。著者も述べていますが私も、どの宗教団体にも所属しておりませんし、正月には神社に詣で、クリスマスにはケーキを食べ、法事はお坊さんに頼むという典型的な雑宗教の日本人です。
テレビなどで前から生まれ変わりのことは知っていましたが、今回、「生まれ変わり」
「臨死体験」「指導役の意識体」「中間生」「ソウルメイト」等を合理的に理解し信じることができました。そして、自分もまた前世より何かの命題をもってこの現世に生まれてきたことを今強く感じています。ひょっとすると今携わっています家づくりの仕事が、その命題のひとつではないかと思えるのです。というのも、確実に「良心的な、愛のある、前向きの方法」で対処しているとはいいきれませんが、人生がどんどん楽しい方向に進んで行き、私を助けてくれる温かい善意の人が次々と現れてきているからです。たとえ寿命が尽きようとも、また、新しい命題を背負って生まれ変わることができると信じた時、少しずつ無私に近づけるような気がします。そして、人のために何ができるかをいつも考え、それを実行できる人でありたいと願い続けます。
なぜなら、それが人としての最高の喜びだからです。



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