社長のひとり言
社長の交遊録 2006年6月10日
社長の交遊録
2006年6月
私は31歳の時に結婚しましたが妻とは知り合ってから32年になります。でも、もっと古い付き合いの友人が4人います。いずれも大学1年の時にサークルで知り合った友達です。知り合ってから、36年が過ぎました。いまだに交際があり、今年は3月に松山の道後温泉に集合しました。そして、来月(7月)は米子の皆生温泉に集合です。もともと大阪生まれの大阪育ちの私ですが、なぜか幼稚園から高校までの大阪の幼馴染との交際が途絶えてしまい、大学で知り合った友人は福岡、岡山、香川、奈良とみんな他府県の出身ですが36年間、年に2、3度ですが絶えることなく交際しています。
私が18歳のとき福岡のK君は20歳、岡山のH君は19歳、香川のU君、奈良のO君は18歳でした。現在、K君は某大手電機メーカーの福岡県にある子会社の総務担当役員をし、56歳。H君はもともと地元岡山の銀行員でしたが、今は運送業の経営者をしています、55歳。U君は大阪で公認会計士として会計事務所を経営し、神戸の私の会社の非常勤取締役にもなってもらっています、55歳。O君は大阪の証券取引所の課長とのことで55歳。
U君とO君には私が独立起業するときに、私が貧乏だったので彼らに毎年最低1割の配当をするからと言って、それぞれ100万円づつを出資してもらっています。しかし創業して11年間、一度も配当金を支払ったことがありません。それで仕方なく、旅行の時に私の車を出して私が運転手をして、彼等への配当金としています。3月も道後温泉まで私一人で運転しましたし、今度の皆既温泉も私が運転手を務めることになっています。私も54歳です。3時間も5時間も、いかに休憩を取りながらといっても体力的にきついものがあります。来年こそは株主配当をして、このつらいお役目から開放されたいと願っています。皆さんどうかお力を貸してください。
U君、O君、それに私の3人は比較的元気で、それほど大きな病気もしたことはありませんが、岡山のH君は去年大腸の病気で死にかけていました。75キロ位あった体重がなんと45キロ位まで落ちて、別人かと思えるほどの変わりようでした。「おえりゃーせん」と言って結局、人工肛門を付けることにはなりましたが、今年3月の道後温泉には67キロまで戻してやって来ました。
福岡のK君も3年前、広島であったとき顔が異様にむくんでいたので、どうしたのかと聞くと、ストレス発散のため毎日大酒をくらっていたら、こんなになってしまったとのことでした。「脇長、なんば心配しよっとか。」と強気なことを言ってましたが、結局、入院することになり今回の皆生温泉はK君だけ欠席です。出来れば、早急にお見舞いに行くつもりです。
昔、5人で徹夜マージャンを何度も何度もやってきた体力は、もうありません。温泉旅館でも12時がくるとだれかれなく「もう寝ようや」と。
K君、H君、U君、O君いつまでも元気で、100歳まで長生きしよう
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アリスと散歩 2006年5月10日
アリスと散歩
2006年5月
先月に引き続き、我が家の犬アリスの散歩ことですが、結局のところ私は週2回しか行けていません。あとの5回のうち家内が3回です。残りの2回は雨を理由にさぼっています。本当は朝6時から1時間という計画でしたが、恥ずかしながらこの1ヶ月で1回実行しただけでした。暖かくなってきたとはいえ、
まだ4月の朝は布団が恋しい季節でした。
私は自分の性格が、集中力とか決心とかがあまり持続しないタイプであることをよく知っています。それでも三日坊主という言葉があるように最低でも三日は続くだろうと予想していましたが、結果は一日坊主に終わってしまいました。こういうのを意志薄弱というのでしょうか、亡くなった父に子供の頃よく言われていたことを想い出しました。
確かに私には、そういうところが多分にありますが、ひとつだけ自慢できることがあります。ずばり禁煙です。今人生で2度目の禁煙中ですが、もう3年続いています。一度目の禁煙も30歳台の頃でしたが約5~6年続けました。
これは、わずかな事で断念する羽目になりました。今回は前回の轍(てつ)を踏まないよう心がけていますから、もう多分死ぬまで吸うことはないと思います。(人間勝手なもので、自分が禁煙すると人のタバコが臭くて、煙たくて我慢できません。もちろん会社は禁煙です。社員も11人いますが、9人まで禁煙者です。あとの2人も勤務時間中、社有車内での絶対禁煙を厳命してあります。)
ですから、意志薄弱な私でも、やる気になれば出来るのです。もっともやる気になったのは、命が惜しいという俗人の生理的欲求から多分にきていると思います。でも、みんな命が惜しいくせにタバコを止めません。タバコは知ってのように、受動喫煙といって吸わない人が他人の煙を吸って病気になることがあるのです。亡くなった父が子供の頃よく言っていました。「人に迷惑をかけるな」と。この両方の理由で禁煙しました。
犬を散歩させなくても特に、命に別状あるわけではありません。でも、無駄吠えすればご近所に迷惑です。また散歩はやり方さえ間違えなければ大変健康によいことです。ここは再度、命のためと、迷惑をかけないということを理由として週3度の散歩に挑戦します。人は健康であるというだけで家族に、社会にそして自分に貢献しているということを肝に銘じて。
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娘とアリス 2006年4月10日
娘とアリス
2006年4月
3月28日、私の上の娘 長女が大阪のワンルームマンションに引っ越しました。私はその日は仕事でしたが、少し抜けさせてもらって家内と共に引越しの手伝いをしました。長女も22歳になって4月から社会人です。勤めは大阪の天王寺の方ですから、伊川谷の自宅から通おうと思えば通えるのですが、次女が2年前から看護学校の寮(大阪の靱公園の北側)に入って家を出ていることに影響されたのか、谷町4丁目のワンルームマンションに住んで一人で生活することを決心したみたいです。
これで我が家も、家内と私とアリスという雌犬一匹になってしまいました。おもえば、ほんの少し前に赤ちゃんとして生まれた娘たちが、あっという間に大人になって家を出て行くようになるとは。光陰矢のごとしというか、人生って本当に一瞬のうちに過ぎ去っていくんだなあと何だか少し悲しいような、変な気持ちになりました。こんなことを家内に話すと家内は「お父さんはまともな子育てをしてこなかったからそんなことを言うのよ。お父さんは子供を育てるという人生最大の幸せをつかみ損ねたわね。」と。以前から家内はちょくちょくと、私が子育てに熱心でなかったと非難していました。その度に私はそんなことは無い、忙しい仕事の中、自分なりに精一杯子育てをやってきたと主張してきましたが、やはり、家内の言っていることのほうが合っているかもしれないと今、思う様になってきました。今は少し反省しています。でも、娘たちは私が彼女らを愛しているように、娘たちも私のことを愛してくれていると信じています。その証拠に次女はほぼ毎週末、我が家に帰ってきます。長女も28日に引っ越したと思ったら翌日の29日に帰ってきている始末です。どうしたのかと尋ねてみると、「一日だけ一人で住んだけど、寂しいだけで少しも楽しくないわ。狭くて、ボロイけどやっぱり我が家が最高。」と。思わず目頭が熱くなってトイレに駆け込みました。
ひとつ問題が出来ました。我が家の犬アリスの散歩のことです。元々娘たちはアリスの散歩をあまりしてくれていません。糞を拾うのが格好悪いという理由です。アリスはもともと次女が小学校五年生の時に犬を飼いたいといって飼った犬です。どこの家でもそうですが我が家も、結局私たち夫婦がほとんど面倒をみることになりました。しかし、4月10日から家内も仕事が増えて週5日
働くことになりました。私も帰宅時間は平均10時くらいです。アリスは雨の日以外1日でも散歩をしないとストレスで無駄吠えします。家内は私に最低でも週3日は散歩させるようにと言いますので、今どうしようかと悩んでいます。
夜10時から散歩させるか、それとも早起きして朝6時くらいから1時間ほど連れて行くか。とりあえずは夜して、もう少し暖かくなってきたら朝やろうと思います。でも続くかどうか自信ありません。でも、もし、週3日やり続けることが出来たら、すごく健康体になれそうな気もします。1ヵ月後このことどうなったか御報告します。
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研修日記 2006年3月10日
研修日記
2006.3月
家づくりの勉強のため2月6日、神奈川県の同業者T社に行って来ました。
T社は現在でこそ年間完工棟数80棟、売上18億の中堅注文建築ビルダーですが、ほんの数年前、平成13年頃は倒産寸前だったそうです。それまでは大手ハウスメーカーのミサワホームと地元不動産業者の下請だけをしていたそうです。その結果、2億円近い借金と絶望感だけが残ったとのことでした。以下にT社社長の言葉を書きます。
「ミサワホームや不動産屋の下請として多くの家を造ってきましたが、お客様の顔は見えませんでした。お客様が喜ばれたら、それはミサワホームや不動産屋の手柄で、お客様がクレームを付けられたらそれは当社の責任という、なんとも不公平な境遇でした。ある時、ミサワホームの家の引渡しに立ち会う機会がありました。その家のお施主様の奥様が泣いておられました。『私たちはこんな家のために35年間、ローンを払い続けるのですか----------』と。その時に、私は決断しました。どの道、時間の問題で倒産するなら、一か八か下請は一切止めて、元請になると。それが、平成13年の夏のことでした。」
① 「すべては、お客様のために。」
② 「お客様のために、自らを反省し、発想・行動せよ。」
③ 「お客様のために、サービス業に徹する。」
この三つの経営理念を掲げられ、社内改革を実行されました。その結果が売上18億、経常利益1億二千万の優良企業にわずか4年で変身されました。もちろん、その間には相当なハードワークをこなされ、家に帰れない日も数多くあり、又多くの社員も去っていったそうです。けれども、会社の目指すところ、方向性を理解しない社員、協力業者は厳しく排除していかれたとのことでした。
私が、なぜ神奈川県の会社にまで研修にいったかという理由は、T社が年間完工棟数を80棟まで、営業テリトリーは会社から半径10kmと決め決してそれ以上、
規模の拡大を求めないという姿勢に以前から共感していたからです。一つ一つ手作りする家が200棟や300棟、はては10,000棟以上も造るなど私には考えられません。
本当にいい家は絶対に100棟まででしか出来ないと信じています。私の会社は現在は年間15~20棟くらいで推移しています。神奈川のT社の真似ではではないですが、
やはり80棟くらいにはしたいと考えています。もとろん、受注範囲は10km以内です。理由は色々あります。
① 棟数が増えればさらにコストダウンが出来る。
② コストダウン出来た成果をお客様に還元できる。
③ モデルルームは不要だが、ショウルームは必要。(相当な投資がいる)
④ 社員数が増えることによって必然的に技術力がアップする。
⑤ 会社から車で30分~40分位まででないと、迅速なサービスは提供できない。
など等です。
他にも、学んだことはたくさんあります。それを実行に移さねばなりませんが、私にはなかなかそこまでの能力がありません。一つ一つ、出来ることからやっていきます。
時間はかかりますが「すべては、お客様のために。」の想いでやりぬく覚悟です。
皆さん、応援してください。
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地鎮祭と棟上 2006年2月10日
地鎮祭と棟上
2006年2月
1月20日、久しぶりに棟上の餅まきを体験しました。前回は枝吉でたしか平成12年頃でしたから、約6年ぶりです。その時はお付き合いのある地主様が施主で、弊社の家ではなく他社さん(お施主様の娘婿が社長)の家でした。今回は弊社のソーラーサーキット工法(略称SC工法)の家です。1階だけでも、132㎡ある延床60坪の2階建で、敷地は160坪ありますから、まさに邸宅と呼ぶにふさわしい建物です。
この家のお施主様ご一家は敬虔なクリスチャンで、約1ヶ月前、私はキリスト教式の地鎮祭を初めて体験しました。無信心?な日本人(私もですが)も家を建てる時はなぜか地鎮祭をしたがるものです。それもほとんどが神式です。結婚式は神式、(最近は教会でするのも多くなったが)葬式は仏式、初詣は神社、お寺の両方、そしてクリスマスにプレゼントやらケーキを食べたり。
以前から私は日本人というのはなんと宗教心の無い無節操な民族であるかと思っていました。(もっとも、宗教心の無さが宗教争いのない平和な国づくりに一役買っているということも言えると思います)クリスチャンでもないのに、教会で結婚式を挙げたりすることは本当のキリスト教徒に対する冒涜のような気がしてならないのです。以前なにかの新聞で読んだことがありました。日本人が教会で結婚式を挙げるため、外国にまで行って、それも旅行社がパックにして売り出しているとか。外国の現地の人が自分たちの信仰のための聖なる建物(教会)が、クリスチャンでもない旅行者に教会の金儲けのために利用されることを批判的にみているということを。 別の見方もあるそうです。クリスチャンでない日本人が教会で結婚式を挙げたことがきっかけでキリスト教に入信する可能性がある。だから、異教徒も大いに受け入れるべきであるという。
話を元に戻して、この家のキリスト教式地鎮祭ですが、初めての体験でしたがそれは私に若い頃の記憶を蘇させるきっかけとなりました。実は私は中学生の時、教会に通っていた時期があるのです。そして、高校もサレジオ修道会というキリスト教の修道会の経営しているところで、私はそこで勉強をしまた、大いにキリスト教の影響を受けました。地鎮祭の時にお施主様ご一家が歌われた賛美歌は、その昔私が持っていたクリスチャンまがいの考えや、想い(信仰には程遠いですが)をはっきりと思い出させてくれました。今は経営者となり、日夜どうやったら家がもっと売れるかと、そんなようなことばかり考えて、若い時に持っていた純粋な想いや思想など、すっかり忘れてしまっていたことに気付かせてもらいました。お施主様のありがたいお説教を聞き、そして分厚い聖書を土の中に置き、みんなで土をかけました。私にもさせていただきました。仕事のつもりで出かけていった私の心は、いつのまにかあのころの純真な高校生に戻っていたような気がします。清らかな心、清らかな気持ちになれることが人間には必要であるとしみじみと考えさせられた一日でした。
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