社長のひとり言 

赤穂にて 2010年4月20日

赤穂にて

 

2010年4月

 4月の14日15日と会社の連休を利用して、妻と赤穂温泉に行ってきました。往路では"世界の梅公園"で散策し、そこが有名な綾部山梅林と隣接していることを初めて知りました。綾部なので私はてっきり京都に綾部市というところがあるので、ずっと京都だと思い込んでいました。
兵庫県に住んでかれこれ27年になりますが、思い込みとは恐ろしいものですね。教訓になりました。梅はもうとっくにシーズンが終了していましたので花は見ることが出来ませんでしたが、かわいらしい新緑がいっぱいに色をつけ、大いに播州路の春を感じさせてくれました。
 赤穂温泉には今までに5回ほど行ったことがありますが妻は初めてです。赤穂に行くのなら鯛の塩釜焼を食べたいと思い、そのコースを頼んでおきました。以前、やはり赤穂温泉ですが一度だけ鯛の塩釜焼を食べたことがあります。もともと鯛は子供の時からの好物ですから、その時の味はずっと覚えていました。瀬戸内海を眺めながらの温泉にゆったりと浸かり心身ともリラックス、あー極楽、極楽----。そして夕食に期待をふくらませ席につきました。鯛のお造りに鯛のお吸い物、続けて鯛の荒焚き、これが結構な量、お酒もかなり入ってきています。お腹も結構ふくれてきました。そこへ待望の塩釜焼が出てきました。仲居さんといってもうちの娘と同い年くらいのお姉さんですが、塩釜焼を前にして「こちらでしてもいいでしょうか?」かなり酔っていたこともあり、またわが娘と同い年くらいの娘さんということもありました。頼まれると断れないという性格も災いしました。「どうぞ」と返事しました。お姉さんの言っている意味が良く分からなかったのです。木槌を掴むや、塩で固まった鯛をガンガンガンと叩くのです。あー!これは私が自分でやりたかったのに!自分で塩のかたまりを割って、中にある鯛の身をつついて食べるのが楽しみでわざわざ赤穂に来たのに!でも、気が弱くて「やめて!自分でやるから」とは言えなかったのです。鯛の身は美味しかったですが、その後、続けざまに鯛の揚げ物、鯛しゃぶと出てきますと、もう満腹を通り越してあげそうになってきました。その上、追い討ちをかけるかのように、鯛そうめん、とどめに鯛の薄造りが出てきたときにはさすがに箸を付けることが出来ませんでした。何事も"過ぎたるは及ばざるが如し"教訓2となりました。もうしばらく鯛は見たくありません。
 翌日、日生からフェリーに乗って小豆島に行きました。4月半ばというのに寒い日で、船から見える小豆島は小雨にけむり、島の上半分は霞がかかって誠に幻想的な風景でした。島に着くや否や名所の寒霞渓目指して車を走らせます。途中、一台の車ともすれちがいません。何かいやな予感がしてきました。そして山頂に着いたとき、そこは雪でした。4月半ばで瀬戸内の小豆島、まさか雪に降られるとは。霞がかかって自慢の眺望はほんのわずかしか得られませんでした。
でも霧のかかった山はどこまでも神秘的です。時おり霧の隙間から見える瀬戸内に海は、雪の中でもなぜか春の日差しに輝いて見えました。寒さと霞と渓谷と、誰が命名したのか春になってもまさに"寒霞渓"そのものです。"名は体を現す" 教訓3となりました。
 いろんなことがあり結構面白い旅でした。また教訓も得ました。そして何よりも妻が喜んでくれたことが私にはこの上もない幸せでした。妻には本当に心から感謝しています。貧乏な時も、病気の時も、そこそこの生活が出来るようになった時も、いつも妻はそばにいて励ましてくれました。随分とのろけてしまいましたが、今の私には妻と二人の娘がいれば他に何もいりません。その上やりがいのある仕事と健康と家まであります。私は本当に幸せな男です。 時々思い通りにならないことも起こりますが、思い通りにならないことこそが、この世で最も価値あることという飯田先生の教えに従い、思い通りにならないことを今は喜びとするようにしています。



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近隣対策 2010年3月31日

近隣対策

 

2010年3月

 私は平成7年7月に独立起業しましたが、その前の約5年間は社員数50名ばかりの建設会社で営業の仕事をしていました。賃貸マンション受注営業が主な仕事でした。自慢話になりますが
年間6億円位受注していましたから、営業成績は結構良かったほうです。最後は支店長という役職まで頂くことが出来ました。今の会社の近くでもよくご注文を頂くことが出来ましたし、現在の事務所も私がご注文頂いたマンションの1階にあります。今、振り返ってみれば当時から大東建託、大和ハウス、積水ハウス等々、超大手企業と競合しながらよく受注していくことが出来たものだと不思議な気がします。選んで下さったお施主様には本当に心から感謝しています。 そんな仕事を辞めて結局は独立するのですが、会社を辞める理由は、誰もがそうだと思いますが一つや二つではありません。待遇のこともありましたが、本当の理由は自分の弱さにありました。中でも近隣対策という仕事は営業の仕事ですが、これは結構つらいものがありました。ある時、説明会場でワンルームマンション建設現場の隣家の方に、先にご自宅に届けておいた砂糖の入った粗品を「こんなもん、要りませんわ!」と投げつけられたことがありました。隣家の方がお怒りになるのももっともです。今まで駐車場で日当りさんさんであった所に、わずか1mほどの隙間をおいて、4階建てのワンルームマンションがピシャと建つわけですから。私でも怒ります。日当りのことで近隣の方々と裁判になった現場もあります。こちらは法律に従って申請し、許可をとって建てようとしていても裁判にまでなるのです。あるいは、全然わけの分からない人が現場に出てきて、大の字になってそこで寝てしまうのです。多くの現場で近隣の方々と問題が発生しました。みなさんがお怒りになるのも理解できましたが、ほとほと疲れました。---------ふと思いました。これが一戸建だったらなあ、マンションみたいに反対されることは絶対ないだろうと。 独立して一戸建の建築を請け負うようになりました。しかし、近隣対策から抜け出すことは出来ませんでした。マンションほどではありませんが、やはり苦情を申し立てられる方はいらっしゃいます。「工事をするのはいいが、道路に車をとめるな!」「こんな家を建てられたら日当りが悪くなる。もっと家を南によせてくれ!」「赤ちゃんがいるから音を出さないでくれ!」「エアコンの室外機をこんな所に置かれたら熱風が来て困るわ、他にもっていってよ」社長になって少しだけ強くなりました。「お宅の家は道路に車を止めずに建てられたのですか」「お宅の家も北側斜線ギリギリですよ」 でも赤ちゃんの件だけは弱ってしまいます。誠心誠意お願いするしかありません。「これはエアコンと違います。エコキュートだから冷風がでます。涼しくていいですよ」 私の対応に腹を立てられた方もいらっしゃるかもしれません。どうか許して下さい。決して貴方をやり込めようとして言ったのではありません。お互い様ではないのですかと言いたかったのです。私も含め、人はそれぞれ自分の立場でしか物事を考えないし、主張することが多いように思います。子供のときに学校で先生に、あるいは親に「いつも相手の立場になって----」と皆が教わっているはずです。でも、なかなか出来ないのが人間です。近隣の方々にも本当は、じっくりと相手の話を聞き、また時間をかけて説明していけば円満に解決する場合も多いと思います。やはり心のどこかに、時間が惜しい、面倒くさいという邪心があったのでしょう。反省しなければなりません。会社で社員によく「損得を考えるな、もっと損をしろ」と分かったような事を言っている自分が恥ずかしい限りです。効率的、合理的という美名のもとに人として最も大事なものを忘れてしまったのかもしれません。『一つ拾えば一つだけきれいになる。足元のゴミひとつ拾えぬほどの人間に何ができましょうか』鍵山先生のこの言葉を今かみ締めています。



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少し批判を 2010年2月10日

少し批判を

 

2010.2月

 5年間勤めた妻のハローワークの仕事が3月末をもって無くなることになりました。先日、自宅に帰った私に開口一番「お父さん、私、ハローをクビになったの」となんともいえない表情で妻はつぶやきました。妻はこの仕事がとても気に入っていたので結構落胆していると思います。聞けば、民主党の"事業仕分け"で求職者向けの心理カウンセリングは全国的に廃止になったとのことでした。「こんなことだったら、選挙で民主党になんか入れるんじゃなかったわ」と人間誠に勝手なもので、先の総選挙では夫婦ともども民主党に投票して、民主党が政権党になるや我ことのように喜んでいたものでした。私自身はいわゆる"支持政党なし"に分類される人種ですが、亡き父は熱心な自民党員でしたので、だいたいの選挙はなんとなく自民党に投票していました。それが、日和見といいますか、マスコミにのせられ易いといいますか今回は民主党に入れました。そしてその結果、妻は職を失ったわけです。 私はどちらかというと、人が批判されるような言動をとっても、その人自身に気付いて欲しいと願い、言葉に出して批判したり非難したりしないタイプです。経営者としては大いに問題であり、よくないと思われますが、若いときの反動なのかもしれません。会社の行動指針16にも「人への非難、悪口は己の不運を招くと心得ます」と明記し社員がそのような言動をとる事を禁じています。(恥ずかしながら実際はなかなか浸透していません)
 しかしながら今回は不節操とは分かっていますが、あえてマスコミと政治家批判を少しだけ言います。テレビを見ていて一番不愉快なのがインタビュアーの「あなたにとって、○○○とは?一言でお願いします」という質問と、政治家がやたら「きちんと」「きっちり」「しっかりと」「きちんきちんと」などという修飾語を多用し、さも具体的確実な成果が出るか、出ているかのようにしゃべることです。インタビュアーが「あなたにとって○○とは」という質問をするのは、センセーショナルなあるいは刺激的な記事の見出しが欲しいからで、あまりに人を馬鹿にしたような質問だと思います。自分の人生、自分の最も大事なものを一言などで語れるはずがないと思うのです。今テレビはどのチャンネルもオリンピックのことばかり、少し前は鳩山総理と小沢幹事長のお金の問題のことばかり、NHKも民放もまったくの横並びにうんざりします。世の中はオリンピックと鳩山総理と小沢幹事長だけではないはずです。他にもっと多くの問題や素晴らしいことがあるはずなのに横並び的に放送し世論を誘導しています。もちろんオリンピックは最高のスポーツ祭典で、多くの感動を与えてくれますし、政治とお金の問題はクリーンであるべきものと考えますが、度を越した放送は感動を希薄にし、世論誘導ともとられかねないと思います。 この講では妻が職を失ったことで少し八つ当たり的な攻撃的な文章なってしまいました。しかし、よくよく考えてみれば如何なる結果も、それは自分が選択した行為がもたらした結果であって、誰のせいでもないということが書き進むにつれ見えて来ました。ということはうまくいかないからといって、それをなにか他のせいにすることは間違いだということです。"すべてのことに意味がある"飯田先生のこの言葉を信じ、今後、妻が一歩も二歩も前進することを祈ります。

 

 



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お正月と地震 2010年1月11日

2010年1月

 

 毎年1月のこの講では、私の家族のお正月休みのことを書いています。2006年、2007年は暮れの12月30日に家族4人が揃いました。2008年は次女がいなくて3人でした。今年(2009年)、長女は例年通り12月29日に帰ってきましたが、看護婦の次女は元旦の午前10時に勤務先の大阪の病院まで迎えに行くことになりました。夜勤明けでとても神戸の実家まで電車を乗り継いで帰る体力、気力がないとのことで、親バカかもしれませんが妻と迎えに行きました。元旦の朝から車に乗って遠出するのは生まれて初めてのことです。私が育った大阪の実家では、元日はおごそかな雰囲気(その日の母は日本髪を結っていました)に包まれていて、子供のときから父に二段重ねか三段重ねのおとそを頂き、「お父さん、明けましておめでとうございます。お母さん、明けましておめでとうございます。お兄さん明けまして----------、三和子さん(妹)明けまして---------」とそれはそれは堅苦しい挨拶をしなければ、大好きなお雑煮も、鯛の塩焼きも、玉子焼きも食べさせてもらえませんでした。ですから、その日はとにかくおとなしく静かに父の訓示や、お説教を聞きます。じっと耐えていますと、やおら父は羽織の袖からお年玉を取り出し、「敬治(私)、無駄使いするなよ」と言いながら渡してくれました。子供心にでもお年玉をもらうまでは良い子にしなければという計算は出来ていました。「お父さん、有難うございました」とお礼。そうすると、間をおかず母も「敬ちゃん(私)、お母さんからですよ」と言ってお年玉をくれます。1年で一番うれしい時であったかもしれません。初詣は家族5人揃って近所の高津神社に行きます。元日であったかどうかは覚えていません。今の柿本神社(明石)や海神社(垂水区)のように屋台は1軒も出ていなかったので、きっと元日ではなかったのでしょう。お正月に家から出かけるのはこの初詣だけでした。今日(1月19日)地震のシンポジウムがポーアイの国際会議場であり「予想される巨大地震に備えて」というテーマで兵庫県知事をはじめ大学の先生、国土交通省のお役人、建築家など6人のお話を聴けてとても勉強になりました。二日前の17日は15年前の阪神大震災、テレビは各局とも震災の特集を流しています。折りしも中南米ハイチで大地震、テレビの画像から流れてくる悲惨な現状、犠牲者は20万人に迫るかもという。中国四川省で数十万人にも及ぶ犠牲者を出したのは、08年5月であったかと。ここでは、結論だけ書いておきます。大地震は必ずやって来ます。自分の家族や自身を守れるのは自分だけです。そのためには家具の転倒防止、耐震改修工事等を実施しなければなりません。皆その理屈は分かっているが実行しません。お金がないとか、もうあんな大きな地震は来ないだろうと何の根拠もないことで自分の怠慢を納得させている。大変不見識かもしれませんが、6434人の人は何のために犠牲になったのでしょうか。私たち生き残ったものには義務があるはずです。地震の恐ろしさを伝え、それから身を守る手段を知っているのですから、それを実行しその実践状況を日本中に、世界中に発信していく義務があると思います。「自分の命は自分で守る」これしかありません。出来ないこと、やらないことを人のせいや行政のせいにしてはいけません。またやらない理由を言ってもダメです。実行あるのみ。それが私達の使命だと信じています。



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「幸福な王子」 2009年12月15日

2009.12月


 
 日曜日の出勤途中はいつも午前7:45からの「聖書と福音」というラジオ番組を聴いています。私はクリスチャンではありませんが、4,5年前からこの放送を聴くようになりました。
12月13日の放送ではオスカー・ワイルドの童話「幸福な王子」の物語を話されていました。皆さんも子供の時に絵本などで読まれたことがあると思います。以下にウィキペディア(ネット上の百科事典)よりそのあらすじをそのまま転載しておきます。
『ある街の柱の上に幸福な王子の像が立っていた。両目には青いサファイア、腰の剣には真っ赤なルビーが輝き、身体は金箔に包まれていて、心臓は鉛で作られていた。とても美しい王子は街の人々の自慢だった。渡り鳥であるが故にエジプトに旅に出ようとしていたツバメが寝床を探し、王子の像の足元で寝ようとすると突然上から大粒の涙が降ってくる。王子はこの場所から見える不幸な人々に、自分の宝石を上げてきて欲しいとツバメに頼む。ツバメは言われたとおりルビーを病気の子供がいる貧しい母親に、サファイアを飢えた若い劇作家とマッチ売りの少女に持っていく。ツバメは街を飛び、両目をなくした目の見えなくなった王子に色々な話を聞かせる。王子はツバメの話を聞き、まだたくさんの不幸な人々に自分の体の金箔を剥がし分け与えて欲しいと頼む。-----------------やがて冬が訪れ、王子はみすぼらしい姿になり、南の国へ渡り損ねたツバメも弱っていく。死を悟ったツバメは最後の力を振り絞って飛び上がり王子にキスをして足元で力尽きる。その瞬間、王子の鉛の心臓は音を立てて二つに割れてしまった。みすぼらしい姿になった王子の像は心無い人々によって柱から取り外され、溶鉱炉で溶かされたが鉛の心臓だけは溶けず、ツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられた。---------------時を同じく天国では、下界の様子を見ていた神様が天使に「この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい」と命じ、天使はゴミ溜めに捨てられた王子の鉛の心臓と死んだツバメを持ってくる。神様は天使を褒め、そして王子とツバメは楽園で永遠に幸福になった。』
私も話しを聴いている間に子どもの時に見た絵本の一ページを思い出しました。番組では伝道師(牧師さんかも)の方がキリスト教的な立場からか、この王子のことを全人類の罪を一身に背負って十字架に架かったイエス・キリストに見立てて、その自己犠牲を讃えておられました。また多くの人は、人のために命を投げ出すような行為を見たり聞いたりすると、思わず涙するものである。それは神様が人間をそのように創られたからであるとも話されていました。ビジネスの世界に身を置く私にとって、キリスト教の幸福とか愛とか自己犠牲とかを学ぶこと聞くことは、生きていく上でこの上もなく救いになります。それで、この番組を聴くようになったのですが、クリスチャンではないだけに、どうしても理解できない部分があります。
幸福や愛の定義は難しく誰か著名人の言葉か文字を借りなければ、自分の力では表現できません。ですからこの講ではそのことを論じるつもりはありません。ただラジオの伝道師さんは王子をキリストとイコールのように言われていました。このように言われてしまうと私のような凡人には王子が何か遠い偉大な存在になってしまいます。私は人は誰でも幸福の王子になれると信じたいのです。王子に近づきたい、王子のようになりたいと願い、少しずつでも実践する人はすべて幸福の王子であると信じたいのです。人は誰でも幸福の王子になれるし又そのように神様は創られたと思います。"人間は愛そのもので、愛を実践するためこの世に生まれてきたのです。"(飯田先生の教えより)でもなぜか人はなかなかこれが出来ません。私を含めほとんどの人は、まず自分が----------という思いが勝ってしまいがちです。毎日が反省と後悔の日々ですが、いつの日にか生きていくことと、仕事することと、愛の実践がイコールになる日を夢見て学び、少しずつ実践していきます。皆さんも応援してくださいね。



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