社長のひとり言 

利他 2011年8月 7日

~利他~

2011年7月

 

今月は障害者雇用で有名な日本理化学工業㈱の会長、大山泰弘氏の著書「利他のすすめ」を紹介します。日本理化学工業はチョークを作っている会社で社員74人、そのうち55人が知的障害者(その内26人がIQ50以下の重度障害者)です。特に製造ラインはほぼ100%知的障害者で構成されています。(障害者雇用割合74%)

著書のはじめにのところにこう書かれています。

"人間が生きていくうえでもっとも大切なことは何か。それはとてもシンプルなことです。「人の役に立つことこそ、幸せ」この一言に尽きます。人の役に立つこと、すなわち「利他」こそ幸せに生きる根本原理なのです。一見、自己犠牲のように見えるかもしれません。しかし、それとは正反対です。むしろ、人の役に立つことで、私たちは幸せを感じることができます。人間はそのようにつくられているのです。そして、その幸せを追い求めて「利他」を愚直に積み重ねることによって、個性や才能が磨かれ、ついには自己実現にまでいたることができます。「自分が、自分が」と自己中心主義で生きるよりも、ずっと強く生きることができるのです。このことを私に教えてくれたのは知的障害者にほかなりません。彼らとともに働くなかで、私の心の中に自然と培われてきたことなのです。"

 日本理化学工業は1937年に大山泰弘氏の父上が創業されました。そして、2代目(本当は教師になりたかったのですが、父上の病気のため23歳で苦渋の入社をする)として働いている1959年、運命の出会いがあるのです。一人の養護学校の先生が大山氏を訪ね、「生徒を就職させていただけませんか」と何度も頭を下げ懇願されます。この当時の大山氏は知的障害者に対し偏見を持っていました。そしてこう言ったのでした「そんな、おかしな人を雇ってくれなんて、とんでもないですよ。」

しかし、養護学校の先生はあきらめませんでした。数日後、再びやってきて同じように「就職を------」と頭を下げるのです。大山氏はそれでも断りました。3度目に先生がやってきたとき、先生は言いました。「もう、就職とは申しません。でも、せめて働く体験だけでもさせていただけませんか。あの子たちはこの先、親元を離れて地方の施設に入ることになります。そうなれば一生働くということを知らずに、この世を終ってしまう人になるのです。一度だけでも、働くということを経験させてやりたいんです。」そこで、大山氏にもかわいそうだなという同情心が芽生え、「2週間程度の就業体験なら」ということで受け入れました。

 25歳の二人の女性が体験入社しました。そして2週間経ちました。大山氏は当然養護施設に帰すつもりでした。ところが社員全員が、「自分たちが面倒みるからあの子達を雇ってください」と願い出たのでした。

 こうして、日本理化学工業の障害者雇用が始まっていったのでした。その道のりは決して平坦ではありませんでした。無断欠勤や暴れる人、大山氏は傷つき、へこたれそうにもなります。さらに、日本理化学工業は知的障害者を安く使って金儲けしていると、事実無根の批判までされます。(日本理化学工業は健常者のパートと同じ賃金を払っています)「なぜ自分がこんな目に会わなければならないのか」と落ち込むことも。そんな時、きっと彼はこの出来事を想い起こしていたと思います。著書にこう書かれています。"彼女たちは(最初の二人)雨の日も風の日も、満員電車に乗って通勤してきます。そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。どうしても言うことを聞いてくれないときに、困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、泣いて嫌がります。どうして、施設にいれば楽に過ごすことができるはずなのに、つらい思いをしてまで工場で働こうとするのだろうか?私には不思議でなりませんでした。

 そんなある日のことです。私はとある方の法要のために禅寺を訪れました。---------中略---------「うちの工場には知的障害を持つ二人の少女が働いています。施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」一瞬、間がありました。

そして、ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。

「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは次の四つです。

人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、そして、人から必要とされること。愛されること以外の三つの幸せは、働くことのよって得られます。障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証なのです」"

 働くことって実は本当にすばらしいことなのです。その答えが上述のご住職の言葉にあります。私は「人に愛されること」も働くことによって得られると考えます。

もちろん働かなくても、上述の四つは実現可能です。しかし、我々凡人にそんな難しいことができるでしょうか。そんな難しいことを考えなくても、大多数の人は働いているのだし、実際、働かないと生活できないという現実もあります。でも、食べていくため、生活していくために働くのではなく、幸せになるために働く、なぜなら働けば人に愛され、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされる、こんなうれしいこと、楽しいことはない、そう考えれば、働けることに喜びを見出すことは簡単なことだと思います。

でも現実はうれしいこと、楽しいことばかりではありません。思い通りにならないことの連続といってもいいくらいです。そんなときには思い出してくださいね。

「思い通りにならないことこそが、この世で最も価値あることだ」という考え方を。(飯田先生)思い通りにならないとき、その人がどんな対応をとるかで人間の値打ちがわかる、前向きで、良心的で、愛のある行動をとるのか、後ろ向きで、良心的でない、愛のない行動をするのかで、人生は大きく変わってきます。答えはいうまでもないですよね。前向きで、良心的で、愛のある行動をとれば、どんどんと良いことが起こってきます。反対に、後ろ向きで、良心的でない、愛のない行動をすれば、どんどんとつらく厳しい出来事が繰り返し起こってきます。

 私たちは、働くことで喜びを得、成長していくのだと思います。私は今、仕事があり、健康で働けることに心から感謝しています。スピードは遅いですが、少しずつ成長しているような気がします。(少し傲慢かも)利他の教えを肝に銘じて精進します。

みなさん応援してくださいね。最後まで読んでいただいて有難うございました。

 



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タバコ 2011年7月 2日

~タバコ~

2011年6月

 

 タバコを止めてからもう15年以上にはなると思います。最近はますますタバコの臭いが苦手になってきました。はっきり言ってとても不快です。吸っていたとき、自分が多くの人に迷惑をかけていたことに気づき、今さらながら申し訳ないことをしていたと後悔の念に苛まれています。いま迷惑と書きましたが実際は迷惑どころの話ではないのです。受動喫煙による肺がんの確率はあの問題のアスベストの100倍あるとするネット記事もあるぐらいです。一度タバコとか受動喫煙とかタバコの害とかでネット検索してみてください。無尽蔵にその被害が書かれています。このことを喫煙者は知っていて止めないのです。

日本人の喫煙率は23%ですが、セレクトホームは50%あります。「お客様の健康を願い-------」と口では言いながら実際にはこの体たらくです。私は社長として禁煙したら5万円の奨励金と、月々5千円の禁煙手当を社員に約束し実行しています。しかし、タバコが1箱400円以上にも値上がりしたというのに、この2年間、禁煙者が増えません。本当に情けない気持ちで、落ち込むこともあります。私は時々言います「喫煙は犯罪だ。自分の快楽を追求するため、罪の無い人を病気に追いやることは誠に犯罪以外の何ものでもない。」これは本心です。しかし、喫煙者は言います。自分たちにも喫煙を楽しむ権利があると。ふざけるな、私は自分さえよければ他人がどうなろうとも関係ないという考え方だけは絶対に許せません。百歩譲って、喫煙を認めるとしたら、それはもうひとつしかありません。ほかに誰もいないところで喫煙するということです。それしかないと思います。一人でも他の人がいれば、絶対に禁煙すべきです。最低でも20mは離れていただきたい。その上、人に近づくときはその臭いを完全に消していただきたいのです。(ファブリーズは効果あります)それなら何とか犯罪者呼ばわりだけは止めようと心がけます。

その点、飲酒は自分の快楽を追及するということでは同じですが、罪の無い人を病気に追いやることは、飲酒運転でもしない限りありえません。昔から"酒は百薬の長"という言葉があります。飲み過ぎは論外ですが、適度な飲酒が健康増進に有益であるということは今や、紛れも無い事実です。

私の周りの社員や職人さんたちは酒もタバコもやる人が多数です。会社の理念に「------人間として成長していきます。」とあります。成長するためには、肉体を鍛えるため体に負荷をかけるのと同じく、心にも負荷をかけなければ成長できないと思います。いくら本を読んで、映画を見て、講話を聴いても実践が無ければ成長したことにはならないと思います。タバコが悪いということは皆、本当は分かっているのです。でも止められない。人は弱い、完全ではないと弁護することも、ことタバコに関しては詭弁としか聞こえません。私は会社経営の具体的目標として、社員と職人さんの喫煙率を0%にすると決めました。厳しいことをいうようですが、最終的には喫煙者は会社から一掃し、現場からも排除するつもりです。これをやらないと、会社と私自身が本当に成長したことにはならないと、そう考えるようになりました。


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心配 2011年5月28日

~心配~

2011年5月

 

 私が飯田史彦先生の大ファンであることは、この講でよく書きます。飯田先生のことは2008年9月号で"私のお勧め本"として初めて紹介しました。当時は国立福島大学の経営学部教授をされておられましたが、今は退官されておられます。初めて名前を聞かれた方のためにネット上の百科事典ウィキペディアでの表記を以下に紹介しておきます。-----2007年には、京都大学から公式な依頼で、京都大学百周年記念ホールにおいて、立ち見多数の超満員800名の参加者を前に、単独の講演会を開催した。飯田史彦の『生きがい論』シリーズは、20095月の時点で総計170万部を超えるベストセラーとなっている。20094月以降は、飯田史彦メンタルヘルス・マネジメント研究所所長および飯田史彦スピリチャルケア研究所『光の学校』校長を務めながら、企業や病院など様々な組織のコンサルティングや、医療機関でカウンセリングを行っている。」

私はこの飯田先生の著書から本当に多くのことを学びました。はっきり言って人生観が変わりました。学んだ数多くのことを、今月のこの講で書き記すことは紙面の関係上出来ませんが、少なくとも"人間は生まれ変わる"というスピリチャルなことを事実として認識出来たことは、私を大いに成長させてくれました。その飯田先生の多くの著書の中でも代表作といっていいのが『生きがいの創造』ではないかと思います。

その本の中に出てくる学者・研究者の中の一人にアメリカの精神科医ブライアン・ワイス博士という先生がいます。彼の日本語訳の著書5冊はすべて読みました。彼のことはネット上で"ユーチューブ ブライアン・ワイス博士"と検索すれば動画で2つの画像が見られます。ひとつはワイス博士の話されているもの、もうひとつは、私は見ていないのですが、たぶんテレビ番組のアンビリバボーではないかと思うその一部です。著書でも多くのページを割いていますアメリカ人エリザベスとメキシコ人ペドロの物語です。著書ではこれ以外にも多くの人の前世の記憶や体験が記されています。興味のある方はすべてPHP文庫から出ていますので、一度、手にして読んでみて下さい。感動的な物語(事実)もたくさんありますよ。そして、この5冊とは別に本とCDがセットになったものがいくつか発売されています。

 この中の一つに本のタイトルは「ワイス博士のストレス・ヒーリング~やすらぎとパワーをあなたに~」CDには「ストレスを取り去るワイス博士のヒーリング瞑想」と書かれたものがあります。この中身はワイス博士が英語で、著書の翻訳者の山川亜希子さんが日本語で、それはそれは神秘的で美しい音楽を伴奏に、リラックスするため、瞑想するため、数多くの人間の内面に宿る美しい言葉が語られています。約30分に及ぶ語りの中にこんな一節があります。「------心配するのは良くないことだと、あなたはわかりました。それはくせなのです。もし、今の一瞬に生き、すべてを感じていれば、心配することは何一つありません。心配は必ず過去か未来です。将来の計画を立てるのは役に立ちますが、将来の心配をするのは良くありません。過去から学ぶのは有益なことです。でも過去のことを気にするのはやめましょう。すでに終ったことだからです。------------

特にこの中の『将来の心配をするのは良くありません』のフレーズに私はどれだけ救われたことか。私にぴったりの言葉でした。そうです、皆さん、将来の計画を立て、それに向かって実行していけば、将来の心配など全くする必要はないのです。心配したからといって何か良いことでもあるでしょうか。

 私の性格はどちらかというと気が小さく心配性です。家づくりを生業としていますが、自分自身がすべての現場を見に行かないことには、心配で心配でたまらないというタイプです。経営の勉強では、どの先生も部下に権限委譲して、任せなければならないと言われます。私もそれが正しいと解っています。しかし、こんな性格ですから、なかなか任せられません。おかげで私の1日の平均実働時間は最低12時間になります。1ヶ月で25日は最低働きますから実に300時間以上です。これを働き過ぎととらえるか、経営者だからそれぐらい当たり前だとするかは意見の分かれるところですが、最近は若いときに比べて、毎日の12時間労働は肉体的にも精神的にも少しきついかなと感じるようになりました。しかし前述のCDを聞き出してからはずいぶんと楽になり救われました。

会社の将来の計画は、中期事業計画と称して5カ年計画をきちんと立てています。でも、この計画が実現するかどうかなどは全く心配する必要はないのです。ただ、これに向かって一生懸命、お客様や社員や取引先の幸せを願って黙々と淡々と、やればそれで良いのです。結果がどうであろうと、そんなことはたいしたことではないのです。おかげで以前にも増して食事やお酒がおいしくなりました。どうやら私は簡単に洗脳されるタイプみたいです。

 久しぶりに広島から義父がやってきました。義母は今回、足の具合が悪く来ることが出来ませんでした。妻と3人で塩田温泉の上山旅館というところに行ってきました。温泉に入って、一杯飲んで、夕餉を食しながら86歳の義父は「こうめしがうもうちゃ、まだまだ死なれんわ」と幸せそうにつぶやきます。そういう義父も以前にもまして体重が増えたように見えました。私はというとワイス博士のおかげで心配がなくなり、妻から「お父さん(私のこと)がこんな体型になるとわね。詐欺にあったようなものよ。いくら心配事がないからといって、食べ過ぎ、飲み過ぎよ」詐欺にあったというのは、知り合ったときの体重と体型を知っているからです。詐欺にあったとまで言って私の健康を心配してくれる妻には本当に感謝です。洗脳されやすい私ですから、もし瞑想CDに「心配事がなくなったからといって、食べ過ぎ、飲み過ぎは良くありません」と入れていただければきっと効果があがるでしょう。

 皆さん、私の体重は別として、将来のことをあれやこれやと心配するのは止めましょうね。心配しなくても人間はいつか必ず死ぬ。でも死んでもまたなにか使命を持って生まれ変わり、別の人生を送れるのですから何の心配もいりません。我々の真の姿は魂そのもので永遠に死ぬことのない存在です。だから何の心配もいらないのです。飯田先生は"死ぬということは体から離れて生きる"と定義されておられます。

では最後に本に載っていますピエール・T・シャルダンというキリスト教神秘主義者の言葉を記して今月は終ります。最後まで読んで下さって有難うございました。

 『私たちは霊的な体験をしている人間ではありません。人間という体験をしている霊的な存在なのです』

 

 



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感謝 2011年5月 1日

~感謝~

2011年4月

 

この講、先月は地震を理由にお休みさせて頂き、誠に勝手を致しました。今こうして1ヵ月半ほど経ちますと、その時の自分の舞い上がった思い上がりの感情に対して恥ずかしく思い、痛切に反省している次第です。   哲学者でもない一介の小企業経営者が、世の中で起こったことすべてに体系と意味づけをしようなどとは、まったくの笑止千万でした。今はただ素直に被災地の復旧、復興を願うだけです。

話は私の会社のことになりますが、工務店経営の要である種々の資材が震災後、思うように調達出来なくなりました。震災の前から断熱材などは入荷が遅れ遅れでしたが、このたび品物によっては納期がまったく読めないという状態です。お金さえ払えば品物はいつでもある。私たちはずうっとそれが当たり前のように思っていました。でも今回はそうではありません。今考えれば品物が入ることなどに感謝の念など持っていなかったと思います。私たちは"感謝の気持ちをいつも忘れずに"と口ではよく言います。セレクトホームの行動指針にも「感謝、寛容、謙虚、誠実の四つを忘れません」とあり朝礼で唱和します。そうは言いつつも、実は日々の出来事一つ一つのことに本当に心から感謝していたかといえば、そうではなかったということが分かりました。お金を払っているんだから資材の供給を受けるのは当たり前だ。もっと言えば、どこか心の中に、買ってやっているんだというおごりの気持ちも少しはあったのかもしれません。このたびは、感謝ということに私達がいかに鷹揚であったかを思い知らされました。人は失くしてみて初めてその失くしたものの大切さを知るといいますが、全くそのとおりでした。

安田佳生さんの著書"下を向いて生きよう"の最後にある「日常の中にあるほんの小さな出来事が、幸せの瞬間であり、人生そのものかもしれない」の一節を思い出しました。日常のほんの小さな出来事に、生きていることに、生かされていることに感謝しようと改めて思い直しました。

 

私は若い時、長い営業マン生活の中で合理的とか効率的とか実質主義などという言葉が好きで、できるだけそのように振舞ってきたつもりです。たとえば、前日の飲み過ぎがたたって朝起きられない、しかし、その日は大事なお客様との商談が午後2時にある。私は布団の中でこう考えて行動していました。"今必死になって起き上がって会社に着いても、体調不十分で大事なお客様との商談にベストな状態で臨めない。それよりも、このままあと4時間ほど寝ていて、それから会社に行こう。そのほうがきっといい仕事ができる。これは自分にとっても、お客様にとっても、会社にとっても良いことだ。これこそ三方良しである。"と形や細かいルールなどどうでもいい。結果が大事で、結果が良くなければ何の意味も価値もない、とこのような考え方を会社を興すまでずっと持っていたように思います。形式にとらわれて実質的な目標達成が出来なければ、それは善ではなく悪であるとまで思っていました。しかし、経営者になってから考え方が変わりました。全くの正反対です。極端に言えば実質的な結果よりも、形のほうが大事である。

そう考えるようになりました。前述の例ですが、そもそも明日大事な商談があるというのに飲み過ぎて起きられなくなるという方が問題で、そのことを反省しなければならないのに、結果を出すことが大事で、結果が出なかったら三方良しにならないという自分に都合の良い理由を考えて、前日の飲みすぎを反省しない。自分を正当化する。(このことを心理学で合理化というらしい、と妻に教えてもらいました)組織で動いている会社で皆がそのように勝手な理屈をつけて、勝手に行動すればその組織は必ずだめになると思います。会社や組織がダメになり潰れてしまっては、お客様だけでなく多くの社員、関係者に大変な迷惑をかけることになります。朝決まった時刻に会社に行く、いろいろな決められたものごとは必ず守る。誰でもが出来ることですが、これをずうっと継続し続けることは結構大変なことです。私は誰でもができる簡単なことを何年も、何十年も続けることの価値を鍵山秀三郎先生(トイレ掃除を何十年も続けた経営者)の著書から学びました。明日は大事な商談がある。だから今日は飲まないと考え行動することは、その人に本当に心から物事に感謝する気持ちがあればできるはずです。感謝する気持ちとは常に周りのことに気配りし、自分のことよりも相手のことを思いやることにほかならないからです。ということが少しずつ分かってきました。若いころの自分は未熟でした。合理的とか実質主義とかの美名の下に、実は感謝の念の薄い、自分中心の考え方であったかと今は大いに反省しています。

私は今社長として形やルールを守ることを会社で言い続けています。弊社にも有給休暇制度があります。ただし、これを申請するのは2週間前までとし、病欠を後から有給休暇に振り返ることは認めていません。欠勤として減給扱います。社員には不評です。人間は誰でも病気をするものだ。それを欠勤扱いし減給するのでは日給月給と同じで、月給制の正社員の待遇としてはおかしい、と皆は思っているようです。私が一社員の立場であればきっとそう考えたとかもしれません。しかし、そうではない。人間はお金を稼ぐために生まれてきたのではない。成長するために、愛を実践するために生まれてきた。そしてそれが人間としての幸せであると今はこう信じています。たしかに人は誰でも病気をする。しかし、病気にならないように気をつけて行動することは出来るはずである。大体今までの病気欠勤の大半は風邪をひいた、吐き気がする、下痢が止まらない、熱がある、頭が痛い、などなどである。これらは仕事をお金を稼ぐためだけのもの考えるのと、仕事は自分を成長させるためのものであると考えるのとで、結果は必ず違ってくるはずです。たしかに自分や自分の家族のことは何よりも大切です。しかし、その思いは皆が持っている思いであれば、自分ことよりも、他人のことを思いやり感謝し、その気持ちのとおりに行動すれば、なかなか病気などするものではありません。

私の会社経営の目的のひとつは私を含め全社員が人間として成長していくことです。決してお金儲けを目的として会社経営はしておりません。東日本大震災の惨状を見るにつけ私たちは今一度、感謝するということの大切さを問い直し、今私たちが本当にやらなければならないことを考え直し行動し、人間として少しずつ成長していきたいと願っています。             



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大震災 2011年4月 2日

大震災

2011年3月

 

 この度の大震災により、亡くなられた多くの犠牲者のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

 私のこの講は今回、勝手ながらお休みとさせて頂きます。何を書いても多くの犠牲者と被災されているの方々との前では、今はただ己の無力さと、信じていたもの、学んだことへの矛盾と不信を感じるのみです。

 申し訳ありません。お許し下さい。



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