社長のひとり言 

セレクトホーム毎月発行ニュースレター"すこやか通信"の『社長のひとり言』より 

 毎月当社で発行させていただいているニュースレター"すこやか通信"の中から

お客様にはたいへん好評!の「社長のひとり言」より抜粋しました。

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少し批判を

 

2010.2月

 5年間勤めた妻のハローワークの仕事が3月末をもって無くなることになりました。先日、自宅に帰った私に開口一番「お父さん、私、ハローをクビになったの」となんともいえない表情で妻はつぶやきました。妻はこの仕事がとても気に入っていたので結構落胆していると思います。聞けば、民主党の"事業仕分け"で求職者向けの心理カウンセリングは全国的に廃止になったとのことでした。「こんなことだったら、選挙で民主党になんか入れるんじゃなかったわ」と人間誠に勝手なもので、先の総選挙では夫婦ともども民主党に投票して、民主党が政権党になるや我ことのように喜んでいたものでした。私自身はいわゆる"支持政党なし"に分類される人種ですが、亡き父は熱心な自民党員でしたので、だいたいの選挙はなんとなく自民党に投票していました。それが、日和見といいますか、マスコミにのせられ易いといいますか今回は民主党に入れました。そしてその結果、妻は職を失ったわけです。 私はどちらかというと、人が批判されるような言動をとっても、その人自身に気付いて欲しいと願い、言葉に出して批判したり非難したりしないタイプです。経営者としては大いに問題であり、よくないと思われますが、若いときの反動なのかもしれません。会社の行動指針16にも「人への非難、悪口は己の不運を招くと心得ます」と明記し社員がそのような言動をとる事を禁じています。(恥ずかしながら実際はなかなか浸透していません)
 しかしながら今回は不節操とは分かっていますが、あえてマスコミと政治家批判を少しだけ言います。テレビを見ていて一番不愉快なのがインタビュアーの「あなたにとって、○○○とは?一言でお願いします」という質問と、政治家がやたら「きちんと」「きっちり」「しっかりと」「きちんきちんと」などという修飾語を多用し、さも具体的確実な成果が出るか、出ているかのようにしゃべることです。インタビュアーが「あなたにとって○○とは」という質問をするのは、センセーショナルなあるいは刺激的な記事の見出しが欲しいからで、あまりに人を馬鹿にしたような質問だと思います。自分の人生、自分の最も大事なものを一言などで語れるはずがないと思うのです。今テレビはどのチャンネルもオリンピックのことばかり、少し前は鳩山総理と小沢幹事長のお金の問題のことばかり、NHKも民放もまったくの横並びにうんざりします。世の中はオリンピックと鳩山総理と小沢幹事長だけではないはずです。他にもっと多くの問題や素晴らしいことがあるはずなのに横並び的に放送し世論を誘導しています。もちろんオリンピックは最高のスポーツ祭典で、多くの感動を与えてくれますし、政治とお金の問題はクリーンであるべきものと考えますが、度を越した放送は感動を希薄にし、世論誘導ともとられかねないと思います。 この講では妻が職を失ったことで少し八つ当たり的な攻撃的な文章なってしまいました。しかし、よくよく考えてみれば如何なる結果も、それは自分が選択した行為がもたらした結果であって、誰のせいでもないということが書き進むにつれ見えて来ました。ということはうまくいかないからといって、それをなにか他のせいにすることは間違いだということです。"すべてのことに意味がある"飯田先生のこの言葉を信じ、今後、妻が一歩も二歩も前進することを祈ります。

 

 

 



2010年1月 2010年1月11日

2010年1月

 

 毎年1月のこの講では、私の家族のお正月休みのことを書いています。2006年、2007年は暮れの12月30日に家族4人が揃いました。2008年は次女がいなくて3人でした。今年(2009年)、長女は例年通り12月29日に帰ってきましたが、看護婦の次女は元旦の午前10時に勤務先の大阪の病院まで迎えに行くことになりました。夜勤明けでとても神戸の実家まで電車を乗り継いで帰る体力、気力がないとのことで、親バカかもしれませんが妻と迎えに行きました。元旦の朝から車に乗って遠出するのは生まれて初めてのことです。私が育った大阪の実家では、元日はおごそかな雰囲気(その日の母は日本髪を結っていました)に包まれていて、子供のときから父に二段重ねか三段重ねのおとそを頂き、「お父さん、明けましておめでとうございます。お母さん、明けましておめでとうございます。お兄さん明けまして----------、三和子さん(妹)明けまして---------」とそれはそれは堅苦しい挨拶をしなければ、大好きなお雑煮も、鯛の塩焼きも、玉子焼きも食べさせてもらえませんでした。ですから、その日はとにかくおとなしく静かに父の訓示や、お説教を聞きます。じっと耐えていますと、やおら父は羽織の袖からお年玉を取り出し、「敬治(私)、無駄使いするなよ」と言いながら渡してくれました。子供心にでもお年玉をもらうまでは良い子にしなければという計算は出来ていました。「お父さん、有難うございました」とお礼。そうすると、間をおかず母も「敬ちゃん(私)、お母さんからですよ」と言ってお年玉をくれます。1年で一番うれしい時であったかもしれません。初詣は家族5人揃って近所の高津神社に行きます。元日であったかどうかは覚えていません。今の柿本神社(明石)や海神社(垂水区)のように屋台は1軒も出ていなかったので、きっと元日ではなかったのでしょう。お正月に家から出かけるのはこの初詣だけでした。今日(1月19日)地震のシンポジウムがポーアイの国際会議場であり「予想される巨大地震に備えて」というテーマで兵庫県知事をはじめ大学の先生、国土交通省のお役人、建築家など6人のお話を聴けてとても勉強になりました。二日前の17日は15年前の阪神大震災、テレビは各局とも震災の特集を流しています。折りしも中南米ハイチで大地震、テレビの画像から流れてくる悲惨な現状、犠牲者は20万人に迫るかもという。中国四川省で数十万人にも及ぶ犠牲者を出したのは、08年5月であったかと。ここでは、結論だけ書いておきます。大地震は必ずやって来ます。自分の家族や自身を守れるのは自分だけです。そのためには家具の転倒防止、耐震改修工事等を実施しなければなりません。皆その理屈は分かっているが実行しません。お金がないとか、もうあんな大きな地震は来ないだろうと何の根拠もないことで自分の怠慢を納得させている。大変不見識かもしれませんが、6434人の人は何のために犠牲になったのでしょうか。私たち生き残ったものには義務があるはずです。地震の恐ろしさを伝え、それから身を守る手段を知っているのですから、それを実行しその実践状況を日本中に、世界中に発信していく義務があると思います。「自分の命は自分で守る」これしかありません。出来ないこと、やらないことを人のせいや行政のせいにしてはいけません。またやらない理由を言ってもダメです。実行あるのみ。それが私達の使命だと信じています。



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「幸福な王子」 2009年12月15日

2009.12月


 
 日曜日の出勤途中はいつも午前7:45からの「聖書と福音」というラジオ番組を聴いています。私はクリスチャンではありませんが、4,5年前からこの放送を聴くようになりました。
12月13日の放送ではオスカー・ワイルドの童話「幸福な王子」の物語を話されていました。皆さんも子供の時に絵本などで読まれたことがあると思います。以下にウィキペディア(ネット上の百科事典)よりそのあらすじをそのまま転載しておきます。
『ある街の柱の上に幸福な王子の像が立っていた。両目には青いサファイア、腰の剣には真っ赤なルビーが輝き、身体は金箔に包まれていて、心臓は鉛で作られていた。とても美しい王子は街の人々の自慢だった。渡り鳥であるが故にエジプトに旅に出ようとしていたツバメが寝床を探し、王子の像の足元で寝ようとすると突然上から大粒の涙が降ってくる。王子はこの場所から見える不幸な人々に、自分の宝石を上げてきて欲しいとツバメに頼む。ツバメは言われたとおりルビーを病気の子供がいる貧しい母親に、サファイアを飢えた若い劇作家とマッチ売りの少女に持っていく。ツバメは街を飛び、両目をなくした目の見えなくなった王子に色々な話を聞かせる。王子はツバメの話を聞き、まだたくさんの不幸な人々に自分の体の金箔を剥がし分け与えて欲しいと頼む。-----------------やがて冬が訪れ、王子はみすぼらしい姿になり、南の国へ渡り損ねたツバメも弱っていく。死を悟ったツバメは最後の力を振り絞って飛び上がり王子にキスをして足元で力尽きる。その瞬間、王子の鉛の心臓は音を立てて二つに割れてしまった。みすぼらしい姿になった王子の像は心無い人々によって柱から取り外され、溶鉱炉で溶かされたが鉛の心臓だけは溶けず、ツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられた。---------------時を同じく天国では、下界の様子を見ていた神様が天使に「この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい」と命じ、天使はゴミ溜めに捨てられた王子の鉛の心臓と死んだツバメを持ってくる。神様は天使を褒め、そして王子とツバメは楽園で永遠に幸福になった。』
私も話しを聴いている間に子どもの時に見た絵本の一ページを思い出しました。番組では伝道師(牧師さんかも)の方がキリスト教的な立場からか、この王子のことを全人類の罪を一身に背負って十字架に架かったイエス・キリストに見立てて、その自己犠牲を讃えておられました。また多くの人は、人のために命を投げ出すような行為を見たり聞いたりすると、思わず涙するものである。それは神様が人間をそのように創られたからであるとも話されていました。ビジネスの世界に身を置く私にとって、キリスト教の幸福とか愛とか自己犠牲とかを学ぶこと聞くことは、生きていく上でこの上もなく救いになります。それで、この番組を聴くようになったのですが、クリスチャンではないだけに、どうしても理解できない部分があります。
幸福や愛の定義は難しく誰か著名人の言葉か文字を借りなければ、自分の力では表現できません。ですからこの講ではそのことを論じるつもりはありません。ただラジオの伝道師さんは王子をキリストとイコールのように言われていました。このように言われてしまうと私のような凡人には王子が何か遠い偉大な存在になってしまいます。私は人は誰でも幸福の王子になれると信じたいのです。王子に近づきたい、王子のようになりたいと願い、少しずつでも実践する人はすべて幸福の王子であると信じたいのです。人は誰でも幸福の王子になれるし又そのように神様は創られたと思います。"人間は愛そのもので、愛を実践するためこの世に生まれてきたのです。"(飯田先生の教えより)でもなぜか人はなかなかこれが出来ません。私を含めほとんどの人は、まず自分が----------という思いが勝ってしまいがちです。毎日が反省と後悔の日々ですが、いつの日にか生きていくことと、仕事することと、愛の実践がイコールになる日を夢見て学び、少しずつ実践していきます。皆さんも応援してくださいね。



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松山にて 

松山にて

 

2009.11月

 法事のため松山に行ってきました。法事が終わった後は(はじめから決めていたことなのですが)私を含め12人のいとこだけが別のところに集まって、従兄弟会の名目の元、一泊かけて宴会をしました。場所は松山城の東南東約10kmにスーパー銭湯があり、そこは道後温泉ほどの全国的な知名度はありませんが、地元の人はちょくちょく利用する温泉で、宿泊施設も整っているところです。私は時間がなくて見ませんでしたが坊ちゃん劇場というのもあり演劇などもやっているそうです。松山市は何といっても人口50万人の中堅地方都市です。日曜ということもありましたが、結構大勢の人が利用していました。
私の亡父は松山の出身で大正8年生まれ、8人兄弟姉妹の3番目です。なぜか父だけが大阪に出てきました。ほかの叔父、叔母は全員松山市かその近郊に住んでいました。子供の時から、私は父が自分の生い立ちのことを話すのをあまり聞いた事がありませんでしたが、唯一繰り返し話していたのは、わが祖先は恐れ多くも桓武平氏の一族である。平家が源氏に追い詰められ壇ノ浦で滅亡する時に、一部が松山に逃げのびた。我々はその子孫に当る、としきりに平家の落人という言葉を口にしていました。しかし、それは多分事実ではないと私は推測しています。最年長のいとこの話によると、私の曽祖父は明治になり、山から松山城下に出てきて、洋服の仕立て職人をしていたのではないか、祖父が洋服の職人であったことが何よりの証拠ではないかと言います。(もっとも私は祖父が仕事をしているところは一度も見たことがありません)私の推量ですが、明治になって山から出てきたということは、まず当時は人口の約9割が農民であったにもかかわらず、田畑がなかったということ、田畑なしに山で生活するには木こりか猟師か山賊をするか位しかないのではと考えるからです。鎌倉、室町、江戸と氏素性に大きな価値感を持つ封建時代に、平家の末裔が木こりや猟師をするとはどうも考えにくい気がします。私の妻も、私と結婚する前に何度かお見合いをしたそうですが、男性は皆、自分は侍の子孫であると聞きもしないのに言ったそうです。日本人の古い世代はまだまだ氏素性にこだわりがあるのでしょう。決して悪いこととは言いませんが、そのようなもので人を推し量るとしたらそれは明かにに間違っていると思います。
それでも自分のルーツを探ることは、それなりに意義あることだと思います。人は皆、自身の性格・人格形成に両親の影響を最も大きく受けます。その親もまたその親から強い影響を受け人間形成されます。そうか、親父はこういう環境で育ったのか、また叔父叔母にこんなことを言っていたのか、と自分の知らない自分の親が育った環境や、どんな親元(祖父母)で育ったかを少しでも知ることは、自分の親を一人の人間として理解し肯定することに繋がることと考えます。そしてそれは、結局のところ自分自身を肯定することにも繋がるはずです。欠点だらけの自分だけれど、自分はこれでいいんだと自信を持つことにもなります。自己肯定感の低い人間は、とても傷つきやすく攻撃的になると、前にこの講で述べましたが、もし読者に思い当たるところがあれば、自分のルーツを調べ、両親の生い立ちを知って下さい。私は今回の旅で今まで知らなかった亡父の良き行いを知ることが出来ました。洋服職人の極貧家庭に生まれた父が家族のため、一人故郷を離れ大阪に出てきた、その思いの一端を少しですが感じ取るとともに、父に対して感謝の念しか持たなかった私が、自分のなした多くの良い行いを私達子供に一言も言わなかった、わが父を今は誇りに思っています。



フルムーンツアー 

フルムーンツアー

2009.10月

 5日間、妻と北海道旅行に行ってきました。某旅行社のフルムーンツアーです。申込の決め手は、飛行機に乗らないこと、すべて禁煙車、新幹線のグリーン車、などもありましたが、最大の決め手は、妻が北海道に一度も行ったことがなかったことと、仙台より苫小牧までの特等船室による船旅に憧れたことでした。船で一泊したことはいままでも何回かありましたが、すべて2等船室のじゅうたん敷きのザコ寝か、良くて4人部屋の2段ベッドでした。子供の時に父の実家の松山に行ったときなどは、船室、甲板とも寝るところがなくて、甲板の救命ボートの中で寝たこともありました。今回の船旅は、レストラン、カラオケボックス、大浴場、劇場での映画、マリンバとピアノの生演奏などもついており、少しリッチで優雅な気分にさせてもらいました。船室はビジネスホテルのツインのようなものですが、なんといっても窓から大海原が望めるのは、船旅の醍醐味であると久々にワクワクしていました。ツアーのスケジュールも苫小牧港着が午前11時ですから、朝からバイキングを腹いっぱい食べ部屋に戻ってまた朝寝と、まさに大名気分でこれから先の北海道の旅に想いをはせ、妻と二人で幸福感に浸っていました。
 しかし、4泊5日のこの旅行、天国気分でいられたのも、ここまででした。予めスケジュール表を頂いてはおりましたが、苫小牧から稚内までのバスと列車、午後7時過ぎのホテル到着、翌朝5時起きの6時集合、6時半頃出発の礼文島行きのフェリーの2等船室、観光客で超満員です。ザコ寝も出来ません。天国から地獄とはこのことでしょうか。特等船室での旅への想いはバブルのごとく消えていきました。たしかに、礼文島や利尻島の風景は本州では見ることの出来ない、なにか異国を感じさせるものがありましたが、その強行スケジュールに辟易して2日目にして、私はもう家に帰りたいと思い始めました。
私たち夫婦は私がまだ学生の時に、ヨーロッパツアーで出会い、長い長い春を経て結婚しました。以来、この年まで旅行には行ってはいましたが、ツアー(他人との団体旅行)には参加したことがありませんでした。妻ともども実に35年ぶりのツアーでした。未熟というか、経験不足というか、考えが甘かったのでしょうか。それでも、妻が礼文島の風景にいたく感動して喜んでくれたことが唯一の救いでした。その妻も翌日、花の咲いていない富良野にまたまた強行スケジュールで着いたときは、猛烈に不機嫌になっていました。花好きの妻にしてみれば、花のない畑の風景などはネタの乗ってない握りずしのようなもので、見るに耐えないものであったかもしれません。しかし、よく考えてみれば富良野といえばラベンダー、でもそのラベンダーが10月半ばまで咲いているわけがない、ということにどうして気付かなかったのか、やはり経験不足だったのでしょう。
そんなこんなでずっと不満を持ち続けた私たち夫婦ですが、ほかの15組ほどのツアー仲間のご夫婦が列車、バスの中で私達のような不満を口にしているのを見たことがありません。唯一、妻が登別温泉のお風呂の中で聞いたのが「こんなのまだましよ、カナダに行った時なんか、朝食に腐りかけのリンゴが一つとかび臭いパンが一切れ出ただけよ」と70歳位のご婦人が話されていたそうです。ということは旅の経験豊富な方たちは、今回の旅行に結構満足されておられるのではと推察しました。この話を聞いて私は自分の未熟さに気付きました。この不景気に北海道旅行に行けることだけでも、どんなに恵まれたことか。ほとんどのご主人の寡黙で、背筋を伸ばして、席はいつも通路側、この方たちを紳士と呼ぶのでしょうか、この方たちからも学びました。
不満を口するのは見苦しい、男は黙って歩くのみ、とこんな想いが今頭をめぐります。不機嫌の妻も登別温泉の窓からの紅葉を眺めてからは、どうやら機嫌が直ったみたいです。



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