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2012年09月アーカイブ

台風2012年09月30日

アドバイザーの松谷です。

 

昨日、今日と稲美町で見学会を開催いたしました。

私もこれまでかなりの回数の見学会に参加してまいりましたが

台風に見舞われたのは初めてです。

 

暴風雨の中、数組のお客様にご来場いただけました。

とても嬉しいことです。

 

また、雨にも負けず風にもまけず頑張っていきます。

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快適な空間2012年09月27日

こんにちは。岩山です。

私事ですが、家に帰ると毎日一度はベランダに出て外の景色や空を眺めます。

この時期は空気が澄んでいますし、月が綺麗に見えるだけでも心地よく感じます。

因みに今年の中秋の名月とされる日は9月30日とのことです。

日々忙しくされている方も、この日は月など眺めてはいかがでしょう。

 

家づくりにとって快適な空間とは、部屋のつくりや内装などに加え、

外を見るロケーションもひとつの要素ですね。

いろんな視点から、その土地に合った快適な空間を造れるよう

これからも考えていきたいです。

 

 

 

 

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思いっきり自慢したくなる【モノトーンの家】2012年09月27日

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ソウルメイト2012年09月27日

2012年9月

 

 今月はB.ワイス博士の著書「魂の伴侶」よりペドロとエリザベスの物語を記してみます。

ワイス博士は著書「前世療法」で世界的に有名な精神科医です。前世を知ることで、今生でのいろんな不都合な症状が快癒するということを、数々の退行催眠(催眠により前世の記憶を呼び起こす行為)によって証明された方です。そういう医師と知ってペドロとエリザベスは同じ時期に、まったく別々に、彼の治療を受けるべく訪れたのでした。

 ペドロはメキシコ人でハンサムな29歳、父は実業家で資産家です。ペドロの兄は少し前に事故で亡くなっていました。やがてはメキシコで父の跡を継がねばならない立場にあります。ペドロは亡くなった兄と再会できるかもと、考えワイス博士を訪ねました。

エリザベスはアメリカ人でブロンド美人の32歳、会計事務所を経営。両親はすでに亡くなっています。亡くなった母を天使のような人として今も思い続けています。亡くなった母に会えるかもと、考えワイス博士を訪ねました。

二人は退行催眠を何度も受けます。前世のペドロはある時、イギリス軍人でスペイン兵との戦いで首と左肩を切られ命を落とすことになります。ペドロがこの前世の記憶を思い出してから、長年原因不明であった首と左肩の痛みは、まったく無くなってしまいました。

またある時、ペドロはモンゴルで遊牧民として暮らしていました。白いドレスを着た老女(彼の母)が片手に白い羽根をもって言います。「彼女の手をとりなさい。彼女に手を差し伸べなさい」彼は一緒に育った娘と結婚します。しかし、他部族の襲撃に会い、村人は大虐殺されます。彼の妻もどうなったか分かりません。

 一方、エリザベスは前世で船から暗闇の海に落ちて溺れ死ぬ体験を思い出します。その結果、彼女は暗闇と水への恐れ(泳ぐことへの恐怖感)から解放されるのでした。そして、ある退行催眠で、彼女は2000年前のローマの圧政に苦しむパレスチナ人の女性の人生を思い出します。彼女の父親は陶工で名前はエリといいます。エリは理由もなくローマ兵に馬で引きずられ虐殺されます。エリザベスは臨終間際の父エリを膝の上に乗せ、体を前後に揺らしながら「お父さん、とても愛しているわ」と言い、そして父は死にます。

 ペドロも同じ記憶を思い出します。その場面を著書から抜粋します。―――「私は地面に横たわっています。ひどくけがをしています。------近くに兵士がいます。彼らは私を地面や岩の上を引きずっていきました。------私は死にかけています」------中略-----その男の娘が泣き叫びながら彼のそばにやってきた。そして、その男の頭をそっと自分のひざの上に抱き上げた。彼女は一定のリズムで体を前後に揺らしていた。------中略-----「愛しているわ、お父さん」彼は娘がやさしく言うのを聞いた。-----中略----彼はこの娘をとても愛していた。彼女と別れるのは、がまんできないほど、つらく悲しかった。彼の目はついに光を失った。そして、ひどい痛みも消えていった。それなのに彼はまだ見ることができた。とても軽く、自由を感じていた。そして、娘のひざに頭と肩をもたせかけている自分の傷だらけの体を見下ろしている自分に、気がついた。娘は泣いていた。彼女は父親が今はもう安らいでいることにも、苦痛が去ってしまったことにも、まったく気づいていなかった。彼女は父親の体だけに思いを寄せて、ゆっくりと体を前後にゆすっていた。しかし、その体には父親の魂はもう宿ってはいなかった。------中略------彼はすばらしい光に気がついた。それは太陽が十個集まったよりも、もっと輝き、もっと美しかった。しかも、彼はその光をまっすぐに見ることができた。その光の中から、近くにいた人物が彼を手招いた。おばあさんだ!彼女はとても若くて、輝いて、健康そうに見えた。彼女のそばに行きたいと思った瞬間、彼は光の近くにいる彼女の隣にいた。「またお前に会えてとてもうれしいわ」と彼女が思うと、その言葉が彼の意識にとらえられた。「ずっと会っていなかったもの。本当に久しぶりね」彼女は両腕で彼を抱きしめ、二人は一緒に光の中へ歩いていった。――――

 続いてエリザベスが思い出します。彼女は広大な起伏のある平原と、頂上が平らになっているたくさんの丘を見ていました。彼女は旗と白い羽根のついたテントに住んでいます。夫と赤ん坊と、夫の母と平和に楽しく暮らしていました。夫婦はとても愛し合っていました。

夫の母は、自分の実母が死んだときに娘として引き取ってくれたのでした。そして、その家で一緒に育った青年と結婚しました。ある時、夫たち男が狩猟に出かけました。そしてそこを敵に襲われほとんどの人が殺されました。彼女の夫の母も殺されました。彼女の赤ん坊も殺されました。美しい彼女は殺されずに敵に連れて行かれました。連れていかれたところはアジアの北で中国の西のほうだと覚えていました。

 前世に出てくる人たちは、今生の人と同じ場合がよくあります。特に強い結びつきにある魂をソウルメイトと呼びます。妻・夫・恋人とのかかわりあいを何度もの人生でもちます。ソウルメイトとは"何度もの人生を身近に生まれて、互いの成長を促すために貴重な役割を果たしあう関係の意識体たち"と飯田先生は定義されています。ペドロとエリザベスは少なくとも分かっているだけで2回の人生を共有しています。ローマ時代のパレスチナでは父娘であり、モンゴルの遊牧民族の時は恋人、夫婦となります。この二人がソウルメイトであることを悟ったワイス博士は、二人を偶然に出会ったように画策します。(精神科医は患者のプライバシーを絶対に明かせない守秘義務が課せられています。あなたたち二人はソウルメイトであると告げたいが、それは職務上できないため)ワイス博士のオフィスの待合室で二人は今生で初めて出会いますが、しばらく見つめ合っただけで、別れてしまいます。ペドロはメキシコに帰ってしまいました。ワイス博士もこれまでかとあきらめたのですが、数か月後、二人は空港の待合室で偶然にも出会うのでした。そして話し始めます。同じ飛行機に乗り隣同士に席をとり、ペドロは彼女の手をにぎるのでした。―――心の中で彼はもう一度、何回も夢の中にあらわれたあの白いドレスを着た苦しげな女性の言葉を聞いた。「彼女の手をとりなさい-----彼女に手をさしのべなさい」------中略------その瞬間、彼の心に電流が走った。エリザベスは、この電流によって、数々の転生が一瞬のうちによみがえるのを感じた。こうして二人の再開は果たされたのだった―――

 この世の中に偶然など何一つないことがこれらの事実からもわかります。すべては何らかの大きな力によって動かされているのかもしれませんね。大切なことは、なぜ私たちは何度も何度も人生を繰り返すのか、ということです。私は学ぶため、そして学んで実践するためではないかと考えています。一度の人生では決してなしえない「信じること、ゆるすこと、愛すること」を学ぶためではないかと。皆さんはどう思われますか?

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~投影~2012年09月27日

2012年8月

 

 先月は心理学でいう合理化を記しましたが、今月は"投影"につて述べます。ネット上のニコニコ大百科では「自身の心理状態を他人や物に反映させること。または自身の性質をそれと知らず他人の中に見ること」と定義し、具体例の一つを以下のように記してあります。「掲示板で議論している際に、不利になった側から『なにマジになって顔真っ赤にしてるの?』などという挑発的な文章が書き込まれることはよくある光景です。このような書き込みがなされた際に、実際に議論の相手が顔を真っ赤にするほど興奮しているという証拠は一切無い。画面と回線を通してしか繋がっていない相手の心情を完全に理解するのは不可能である。では、"相手は興奮している"という発想はどこから出てきたか。それは"自らが興奮している"からに他ならない。自分がこれほど興奮しているのだから、相手も興奮しているに違いない、という考えの下、相手に自分を投影しているのである。」

 私たちは日常で、とても疑り深い人と出くわす場合がよくあります。何かを理解してもらうため(例:その人にとってとてもためになるようなこと)に誠心誠意、一生懸命に話しても、何か裏があるのではとか、うまい話で自分をだまそうとしているのではとか、とお考えになっているのか、結局は否定されます。自分のためになるということが解って、それでも何らかの信念で否定されるのであれば、それは致し方のないことです。私たちはその判断を尊重しなければなりません。そうではなく、前述したような疑り深い人は、実は投影しているのではないかと考えられます。つまり、自分は隙あらば相手をだましてやろう、最後には相手を裏切って得をしよう、とそう自分が考えているから、相手もそう考えているに違いないと発想するのです。もちろん、今までの人生でいろんな人に騙され、何度もこっぴどい目に会ってきたという経験から、人を信じなくなっている場合も多いと思います。私もそんな経験が何度かあります。お金をだまし取られたこともあります。でも、考え方ひとつです。ああ、お金でよかった、命まで取られなくて、自分は本当についてる、と考えればそれでよいのです。そんなことで人を信じられなくなるというのは、あまりに短絡的です。
 「Aさんは、きっと私のこと、嫌ってるわ」という人は実は、自分がAさんを嫌っているのです。典型的な投影です。「この話にはきっと何か落とし穴がある」という人は自分がしょっちゅう、落とし穴を掘っているのです。このような投影という行為に思い当たる人は少なくないと思います。実は私も妻に指摘されるまでは、よくやっていました。今はこの事実を知って、意識するようになりましたので、そういうこと(投影)はないと自負していますが、妻はそれを否定します。いずれにしても、人間は善なる魂であると信じ、自分が損をすることを恐れず、一定の配慮の下、良いと思ったことをやり続けることが大切であると考えます。いつも偉そうなことを言っていますが、皆さん、もし私が投影していたら、指摘して下さいね。 「社長!それって投影じゃないですか」と。

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