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2009年11月アーカイブ

松山にて 2009年11月20日

松山にて

 

2009.11月

 法事のため松山に行ってきました。法事が終わった後は(はじめから決めていたことなのですが)私を含め12人のいとこだけが別のところに集まって、従兄弟会の名目の元、一泊かけて宴会をしました。場所は松山城の東南東約10kmにスーパー銭湯があり、そこは道後温泉ほどの全国的な知名度はありませんが、地元の人はちょくちょく利用する温泉で、宿泊施設も整っているところです。私は時間がなくて見ませんでしたが坊ちゃん劇場というのもあり演劇などもやっているそうです。松山市は何といっても人口50万人の中堅地方都市です。日曜ということもありましたが、結構大勢の人が利用していました。
私の亡父は松山の出身で大正8年生まれ、8人兄弟姉妹の3番目です。なぜか父だけが大阪に出てきました。ほかの叔父、叔母は全員松山市かその近郊に住んでいました。子供の時から、私は父が自分の生い立ちのことを話すのをあまり聞いた事がありませんでしたが、唯一繰り返し話していたのは、わが祖先は恐れ多くも桓武平氏の一族である。平家が源氏に追い詰められ壇ノ浦で滅亡する時に、一部が松山に逃げのびた。我々はその子孫に当る、としきりに平家の落人という言葉を口にしていました。しかし、それは多分事実ではないと私は推測しています。最年長のいとこの話によると、私の曽祖父は明治になり、山から松山城下に出てきて、洋服の仕立て職人をしていたのではないか、祖父が洋服の職人であったことが何よりの証拠ではないかと言います。(もっとも私は祖父が仕事をしているところは一度も見たことがありません)私の推量ですが、明治になって山から出てきたということは、まず当時は人口の約9割が農民であったにもかかわらず、田畑がなかったということ、田畑なしに山で生活するには木こりか猟師か山賊をするか位しかないのではと考えるからです。鎌倉、室町、江戸と氏素性に大きな価値感を持つ封建時代に、平家の末裔が木こりや猟師をするとはどうも考えにくい気がします。私の妻も、私と結婚する前に何度かお見合いをしたそうですが、男性は皆、自分は侍の子孫であると聞きもしないのに言ったそうです。日本人の古い世代はまだまだ氏素性にこだわりがあるのでしょう。決して悪いこととは言いませんが、そのようなもので人を推し量るとしたらそれは明かにに間違っていると思います。
それでも自分のルーツを探ることは、それなりに意義あることだと思います。人は皆、自身の性格・人格形成に両親の影響を最も大きく受けます。その親もまたその親から強い影響を受け人間形成されます。そうか、親父はこういう環境で育ったのか、また叔父叔母にこんなことを言っていたのか、と自分の知らない自分の親が育った環境や、どんな親元(祖父母)で育ったかを少しでも知ることは、自分の親を一人の人間として理解し肯定することに繋がることと考えます。そしてそれは、結局のところ自分自身を肯定することにも繋がるはずです。欠点だらけの自分だけれど、自分はこれでいいんだと自信を持つことにもなります。自己肯定感の低い人間は、とても傷つきやすく攻撃的になると、前にこの講で述べましたが、もし読者に思い当たるところがあれば、自分のルーツを調べ、両親の生い立ちを知って下さい。私は今回の旅で今まで知らなかった亡父の良き行いを知ることが出来ました。洋服職人の極貧家庭に生まれた父が家族のため、一人故郷を離れ大阪に出てきた、その思いの一端を少しですが感じ取るとともに、父に対して感謝の念しか持たなかった私が、自分のなした多くの良い行いを私達子供に一言も言わなかった、わが父を今は誇りに思っています。

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