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2008年12月アーカイブ

社長の温泉日記 2008年12月11日

社長の温泉日記

2008.12月

先月、この講で高野山と龍神温泉に行ったことはお伝えしました。実はその後3度も温泉に行ったのです。1ヶ月間に4ヶ所、温泉に行ったのは生まれて初めてのことです。この不景気になんと贅沢なと、反感をもたれてしまうのは不本意ですので、後の3ヶ所のことを少し聞いてください。
 龍神温泉は11月5日6日で、これは完全に家族旅行(義父母、妻、私)でした。その翌週の12日13日と塩田温泉に、この講によく出てきます私の学生時代以来の友達3人と計4人で行きました。H君を除くこのメンバーとは7月にも山口県の湯田温泉に行ってきましたが、このときH君は、参加できませんでした。H君は、お伝えしていますように現在、人口肛門です。知らなかったのですが、大腸がないと体の水分補給がスムーズにいかないそうです。だから、真夏の7月、8月は大量の汗をかくので、とても危険なのです。それで、彼への埋め合わせを兼ねて、11月の涼しい時期に行くことにしたのです。もっとも、今年の3月に大阪証券取引所を早期退職したO君は、現在働きに行っていませんので、暇を持て余しているという事実もあります。
 私も経営者として、株価が大暴落して不景気になってきているということが、とても気になっていましたので、現在、投資家としてのO君、公認会計士のU君、運送業経営者のH君らの意見を、是非にも聞いてみたいという思いもありました。尋ねてみましたところ、O君、U君の今後の予想は非常に厳しいものがありました。株価はまだ下がる可能性が大である。その理由として、アメリカの不動産価格はまだまだ高い、日本のバブル崩壊時の地価は、半値八掛から半値六掛以下になった。それにならえば、アメリカの住宅価格は、まだまだ大きく下がる余地がある。したがって、金融機関の不良債権はますます膨らむ。だから株はまだ下がる。とのことでした。
私の考えはこうです。(素人の考えととってくださいね)現在、世界の人口は67億人、誠にお気の毒ですが、その内、5億人から8億人が飢餓状態にあるそうです。そこそこ物質的に恵まれた生活ができているのは10億人くらいではないかと推測しています。そうすれば残りの約50億人の人々は、日本でいえば恐らく昭和20年代頃の生活をしている方が大半と思われます。近年の情報化社会では、彼ら50億人の人々も当然、先進諸国の人々の生活水準を知っています。彼らの多くは必ず、物質的豊かさを求めているはずです。50億人の人々が、もし仮に、毎年5%成長を目指し、実行していけば、日本のような外需依存型国家(輸出立国、技術立国、人口:1億2500万人)はきっと、50年、100年に亘って、その恩恵に与れるに違いありません。(私達、日本人は飢餓状態の人々も含め、67億人の成長発展に寄与し続ける義務があると思います)1年2年の不景気は続いても、景気は絶対に回復すると信じています。
 友人たちとの飲食、マージャン、会話は30年以上も同じことを続けてきましたが、まったく飽きることなく、面白く新鮮です。塩田温泉は私は3度目でしたが、友人たちは初めてだとのこと、お風呂も、お部屋も、料理も、マージャン部屋も大満足でした。来年2月の再会を約し、お開きになりました。

 11月19日、20日は会社の慰安旅行でした。社員と協力業者(職人さん達)の方々、合わせて20名で、川湯温泉に行ってきました。川湯温泉を決めたのは私です。一度も行ったことがなかったので、どうしても、川沿いの露天風呂(仙人風呂)に入りたかったのです。
 貸切の観光バスは後部にテーブルを挟んで席のあるタイプです。私は車酔いしやすいので、いつも一番前に座ります。去年もそうでしたが、アルコールが入って、後ろの方は大騒ぎです。一人さびしい私はウイスキーのポケット瓶を、持参していましたが、温泉に着いた頃はほとんど空になっていました。結構酔っていたのだと思います。浴衣に着替え、仙人風呂の湯に浸かろうと入っていった瞬間、足を滑らせて温泉に頭から突っ込んでしまいました。深さは50センチくらいでしょうか、一瞬溺れそうになりました。(みなさん、飲酒してのお風呂は危険ですから絶対にやめて下さいね)起き上がって、周りを見ると、仲間たちが、十数人いました。どういうわけか皆そろいのパンツをはいているのです。私「みんな、なんでそんなパンツはいてるの?」仲間「旅館でこのパンツはいて風呂に入るように言われましたけど」私はノーパンでした。日本では風呂に下着を付けて入るような習慣はないはずです。私「こら!君たち!全員パンツを脱げ!」誰も脱ごうとしません。そうなると、自分が間違っているのかな、これはどうやら酔っ払いすぎたみたいかな、-------まあどっちでもええわ。 時刻は午後4時半くらいだったと思います。夕暮れの川湯の空はどこまでも青く澄んでいました。露天風呂に遊ぶ仲間達の楽しそうな声と、広々とした清らかな温泉の湯と、紅葉の混じった美しい山々は、酔いと相まってこの世の極楽を一瞬感じさせてくれました。
 翌朝は二日酔いです。不覚にも前夜のことは途中までしか覚えていません。
川湯温泉から谷瀬のつり橋までは地獄の道中でした。狭い道をバスが右に左にカーブを切ると、思わず吐きそうになってしまい、いい年をして恥ずかしいのですが、途中の道の駅で止めてもらい、トイレに駆け込みました。後で聞けば、私以外にも5~6名が気分が悪く真っ青になっていたとのことでした。会社に戻ってきたのは、翌日の午後4時頃、最悪の体調でした。顔色の悪い仲間の一人が「社長、来年は遠くても真っすぐな道のとこにしましょね」とつぶやき、帰っていきました。

 川湯温泉から帰ったその二日後、私と妻は岡山発、松山行きの特急しおかぜに乗っていました。旅行の目的は、叔父さんの49日法要です。亡くなった私の父は松山の出身で8人兄弟(姉妹)です。(私の父以外の叔父、叔母はみんな松山で生活)このたび、一番上の叔父さんが亡くなられ、お葬式には出席できなかったので、いとこ(喪主)には49日には必ず出席させてもらいますと約束していました。私の予測ではもう1週あとかなと思っていましたが、結局11月22日になりました。妻はどうせ行くなら道後温泉に泊まりたいというもので、すぐに、宿を探しました。ところが3連休の初日で、しかも女子プロゴルフのトーナメントが松山で開催という最悪の条件がそろってしまい、道後、奥道後と温泉はおろかビジネスホテルまでもすべて満室という状況でした。やむなく、松山から今治に抜ける山中に鈍川温泉という温泉があって、1部屋だけ空いている(ただし、洋室でダブルベッド)とのことでやむなくそこを予約しました。
 法事を終えて、タクシーで宿に向かいました。着いた時はもうすでに日は落ちていました。谷あいですので、景色はほとんど見えません。旅館は和風でかなり古そう。部屋に案内してもらうと、妻が急に不機嫌な顔になりました。部屋は約4帖半のスペースと小さなダブルベッド。妻が「お父さん、本気でここで寝るの?」結婚して25年になりますが、妻も私もダブルベッドで寝たことは一度もありません。たぶん、新婚旅行でもなかったように記憶しています。食事は部屋食ですが小さなテーブルに載りきりません。床の空いたところに食べ物を置かれました。法事で3時ころに結構食べましたので、あまり食欲がありません。しかも、二日前に二日酔いでした。よせばいいのに、お酒を飲んで食欲神経を麻痺させ、ほとんど平らげました。ああ苦しい、食い過ぎだ!
初めてのダブルベッドは結局、二人ともほとんど眠れませんでした。それでも、谷あいに建つ旅館からの眺めは結構、すがすがしいものがありました。朝湯に入ると、少しは元気も食欲も出てきました。
今治に出て、そこから特急しおかぜで帰りました。列車から望む瀬戸内の海と、島なみは本当にいつ見ても美しく、この日も晴天に恵まれ、きびしかった今月のスケジュールをやりこなした充実感と相まって、まさに晴れ晴れとした気持ちになれました。

 ひと月に4度の温泉旅行を体験して、私は大いに学ぶことが出来ました。65歳になったら引退しよう、あとは後継者に任せてと、前々から考えていましたが、この度の体験で、この考えを改めました。社長は後継者に任せても、自分は死ぬまで現役でいようと決心しました。旅行に行く前、大好きな温泉に4回も行ける。どんなに楽しいだろうと、とても幸せな気分でした。しかし、終えてみて、正直、充実感はありましたが、楽しかった、幸せだったという感覚が、あまり湧いてきません。このことは引退して毎日が休日になったら、どんなに楽しいだろうと想像していた私には、大変なヒントになりました。いくら大好きな温泉でも、毎週、毎週続けるよりも、たまに行くから楽しく、幸せな気持ちになれるということ。毎日、毎日が休日では、決して楽しくはないということ、仕事があるから、人の役に立てるから、楽しく、幸せである。このことに、いまさらながら気付きました。
 この世に起こることはすべて価値あることばかりであるという、飯田先生の教えも実感できました。楽しく、苦しい1ヶ月でしたが、今は少し成長できたかと満足しています。

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